心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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2011年09月21日(水) 自分に正直になる

ビッグブックの第5章に「自分に正直になる能力さえあれば〜回復する」とあります。この部分はミーティングハンドブックにも掲載されているので、AAミーティングに出たことのある人なら一度は接したことがあるでしょう。

「自分に正直になるって、どういうことですか?」という質問を受けてしまいました。ここまでストレートな質問はなかなかあるものではありません。ど真ん中高めのストレートを唖然として見送る気分になりました。

この人は熱心にAAのミーティングに通っているのですが、AA仲間から「正直に話をしていない」と指摘されたというのです(さもありなん)。自分が飲んでいないだけで回復できない原因は、正直になれていないからではないのか。だとすれば、

「どうやったら、私は正直になれるでしょう?」

というのが質問の主旨ということになります。どうやったら正直になれるか、それを言葉で説明しなければならない日がやってくるとは。「話したくないと思っていることを話せば良いんです」ぐらいでお茶を濁したい気持ちを抑え、なんとか説明を試みました。

なぜそんなことが必要かと言えば、その人がアスペルガーだからです。正直という言葉は辞書に載っています。しかしこの場合、言葉の定義を持ち出しても意味がありません。前後の文脈から「正直」という言葉がどんな意味で使われているか、AAの中でどのような正直さが美徳として認められているか、それは辞書の言葉の定義とはあまり関係がないからです。アスペルガー症候群を含むASD(自閉症スペクトラム障害)の人たちは、決まり事(例えば言葉の定義)に引きずられてしまい、脈絡からの推理にしばしば失敗します(想像力の障害ゆえ)。

僕が誰かと待ち合わせをしていたとします。しかし、道路が渋滞したせいで、その待ち合わせに遅れてしまいました。待たされた相手はご立腹で、僕は謝罪しなければならない・・というシチュエーションを考えます。僕が「謝罪」するためには、何を言えば良いでしょうか? 単純に、

「遅刻してごめんなさい」

と言えば必要十分です。渋滞という事情を説明しないのか? という疑問がでるかもしれませんが、謝罪にはそれは必要ありません。相手が「なぜ?」と理由を問うたときに説明すれば良いだけです。

相手は僕が遅刻した事実に対して怒っているわけであって、怒りの対象は僕です。そこへ「渋滞のせいで遅刻しました」と説明するのは、悪いのは僕じゃなくて渋滞なので、怒りを僕じゃなく渋滞に向けて下さい、と相手に言っているのと同じです。それは申し開き(もっと悪い言葉を使えば開き直り)であって、謝罪になっていないのです。

謝罪には三つの要素が必要だとされます。一つは自分の落ち度を認めること、二つめは賠償(原状回復)、三つ目は再発防止の約束だそうです。待ち合わせに遅刻したぐらいで賠償を要求される人間関係は考え物ですが、「今度から10分早く出るね」という約束は必要かも知れません。しかし、何よりも必要なのは、一つめの落ち度を認めることであり、自己弁護ばかりでは人間関係うまくいかないのです。自己弁護が上手になったことで人間関係のスキルが身に付いたと勘違いしている人がいますが、逆です。

(もちろん謝罪のスキルがどこでも通用するわけじゃありません。例えば職場に遅刻する時に必要なのは謝罪ではなく「ほうれんそう」のスキルです)。

人は自分の落ち度がわかっていても、それを認めたくないものです。だから事情説明という自己弁護を展開します。僕も例外ではなく、遅刻しておいて「いやぁ、参った。道路が混んでいてさぁ」という言葉とともに現れるわけです。しかし言い訳ばかりでは信用を失います。

これだけ説明して、自分に正直になることの意味と、ではミーティングでどんな話をすればよいか分かってもらえれば良いのですが、ASDの困難は「遅刻における謝罪」と「ミーティングにおける正直さ」を結びつけて考えることができない困難です(一般化の困難)。

「自分に正直になる能力があれば回復する」という文章は、ステップ3・4・5の前フリの場所にあります。そこから先にはこんな文章があります。

「自分自身の誤りだけを断固として厳しく見つめる(p.98)」
「道路の自分の側の掃除をする(p.112)」

自分の落ち度を積極的に認める姿勢が要求されています。酒が悪い、親が悪い、会社が悪い、世間が悪いと、他者の落ち度ばかり追求して、自分の免責を求めていては回復はやってきません。他者がどうであろうと、自分が変われば回復は可能になるわけですから。

ミーティングで、自分が人に迷惑をかけたとか、悪いことをしてしまったと話せるのは良いことです。しかし、自分の落ち度を認めたくないという気持ちは誰にでもあるので、つい事情説明という自己弁護を展開してしまいがちです。しかし、それでは正直な話をしているとは受け取ってもらえません。自分の間違いをきちんと認める姿勢が求められています。

前述の人の場合、細かく事情を説明することが正直になることだという勘違いが判明しました。僕はその人のミーティングでの話を聞きながら、自己弁護の気持ちが強いと感じていたのですが、そうではなく、努力の方向が間違っていただけでした。正直になりたくないわけではなく、どうやったら正直になれるかスキルが不足していたのです(もちろん抵抗する気持ちもあるだろうけどさ)。

気持ちが不足しているのではなく、スキルが不足している。気持ち(例えば反省の気持ち)を求めるのではなく、スキルを求めたほうが有効なんでしょうね。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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