心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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2011年09月14日(水) ステップ4の moral は?

たまにはステップの話をしましょうか。

ステップ4では棚卸し表を作るという作業をします。原文ではステップ4は moral inventory of ourselves を作るとなっています。日本語の旧訳では「生き方の棚卸表を作った」、新訳では「自分自身の棚卸しを行ない、それを表に作った」となっています。

原文の moral はどこに行った? と聞きたくなる気持ちも分からなくはありません。

モラル(道徳)とはなんでしょうか。社会や文化が個人に対して「このように行動すべし」という規範を与えてくれますが、それだけでモラルが成立するわけではありません。個人は社会の要請に反して「自分はこのように行動すべきだ」という別の考えを持つこともできます。しかしその自由は社会全体からの規制を受けます。つまりは社会の要請と個人の良心が一致したところにモラルが成立します。

モラル(道徳)は社会を構成する全員にある程度共通したものです。しかし、社会と個人との関係の中で成り立つ以上、それは一人ひとり違ったものでもあります。(一人ひとり違ったモラルを持っている)。

ビッグブックにはこんな一節があります。

「よい道徳や人生哲学があれば飲酒の問題が克服できるというのであれば、私たちはずっと昔に回復していたはずである」(p.66)

道徳や哲学は私たちを救ってはくれませんでした。それはなぜでしょうか?

「私たちの多くは道徳的な、あるいは哲学的な信念を持っていた。しかし、それに恥じない生き方をすることはできなかった」(p.90)

どんなに立派な道徳観念や信念を持っていたとしても、それに従って生きていなければ意味がありません。人はそれぞれ思想信条を持っています。その信条はその人にとっての理想であって、現実の行動は理想通りではありません。多くの健康な人は、自分の信条通りに行動できていないことに自覚的です。

しかし霊的に病んだ人は、自分の理想が自分自身だという勘違いをしてしまいます(自分は自分の信念に従って生きることができている、という勘違いをする)。それは欺瞞ですが、この欺瞞はしばしば家族間で伝染します。

AAの12のステップは特定の思想信条を押しつけようとはしません。人それぞれ自分の良心に従った道徳観念を持つ自由が与えられています。問題は、自分の選んだモラル通りに生きていないということです。例を挙げると、性的な振る舞いの棚卸しがあります。いまの日本社会では同性愛はまだまだ不道徳なものだと見なされています。もしその社会通念に従って棚卸しをすれば、同性愛の人は自分の性嗜好をすべて悪いものと見なさなければいけなくなってしまいます。もちろんAAはそんなことを要求しません。同性愛であっても、その人は恋人に対して自分はこういう態度であるべきだという理想があるはずです。その理想(モラル)に従えていないということをチェックするのです。

棚卸しという言葉は、商売の棚卸しから転用されたものです。万引きにあったり、腐って破棄されたりして、在庫は帳簿とは一致していません。棚卸しは、在庫と帳簿を比べる作業です。ステップ4・5も在庫(現実の自分自身の行動)を調べて、帳簿(自分なりのモラルに従って生きていると思っている自分)とのつきあわせ作業をし、その違いをハッキリさせる作業です。

p.105には「思っていた」という言葉が何度も太字で協調されています。こうだと思っていた自分と、現実の自分は全然違っていたわけです。RDでもステップ4の moral を、自分に関する「真実」と説明しています。帳簿ではなく現実の在庫を見ることです。

日本語で「道徳」という言葉を使うと、それが社会一般の倫理規範を示すと誤解を受けがちです。カタカナで「モラル」という言葉を使っても同じです。しかし、12ステップは特定の倫理観を押しつけようとするものではありません。それを考慮すれば、なぜ日本語のステップ4に moral が含まれていないか理解していただけるでしょう。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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