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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年08月30日(火) 医者は治してくれない(その3) AAの始まりは、二人のアルコホーリクが出会い、お互いの飲酒体験を分かち合い、支え合うことで断酒継続を可能にした・・と説明されることがよくあります。
何十年も前ならいざしらず、現在の日本ではアルコホーリクどうしの出会いは頻繁に起きています。アルコールの専門病院には多くのアル中が入院しており、ネット上には断酒の掲示板がありオフ会をやっているところもあります。もし、二人のアルコール依存症者が出会って、体験を分かち合うだけでAAが誕生するのなら、今頃日本はそこらじゅうAAだらけになっているはずです。でも、現実にはそうなっていません。ということは、それだけでは足りないということです。
ジョー・アンド・チャーリーのビッグブック・スタディに接した人は、まず最初にAAがどのようにして始まったか説明が続くことをご存じでしょう。ルター派の牧師ブックマンが作ったオックスフォードグループのプログラム。スイスの精神科医ユングがローランド・ハザードに伝えた霊的体験の必要性。これらを受け継いだエビー・サッチャーのメッセージ。ビル・Wに伝えられたシルクワース博士の病気の概念。こうした様々な要素が積み上げられ、最後に同じオックスフォード・グループのメンバーだったドクター・ボブとの出会いによって、AAはようやく形をなし始めました。
AAが始まるためには、これらがすべて必要で、何が欠けても成り立ちませんでした。つまり、
同じ問題を抱えた人たちが集まって体験を話し合うだけで自助グループができあがるわけではない
それだけでは足りないのです。これは、実は「不都合な真実」でした。
前回までの雑記で書いてきたように、依存症は医者には治せない病気です。
シルクワース博士はビッグブックで「アルコール薬物依存の治療では、全米でも最も由緒ある病院の医長を務めている」とその実績を誇りつつ、同時に「精神医学の成果によって得られた回復の合計は相当な数にのぼってはいるが、問題全体からみれば小さいシミをつけた程度にすぎないことを認めざるをえない」と述懐しています。
彼はアルコールの専門医として生涯で5万人ものアルコホーリクを診ましたが、AAが始まるまでは治療の成功率は約2%に過ぎなかったと言い残しています。
医者がダメなら、ではどこへ行けばいいのか。そう聞かれて困ってしまうのは、医療職だけでなく、保健所などの援助職の人たちも同じです。まだアルコールの問題は断酒会が古くから活動していたから良かったものの、薬物やギャンブルや、ましてその配偶者や子供の世代の問題となると、紹介する先のない援助職の人たちは困ってしまったわけです。特に地方ではグループもないし。
そこへ「同じ問題を抱えた人たちが集まって体験を話し合う自助グループというものがあり、それが解決策だ」という理屈が忍び込んでいったのでしょう。人々を同じ部屋に入れて話し合わせておくだけで問題が解決するのなら、医療職・援助職はそれ以上コミットする必要がありません(楽ができる)。
1980年代、90年代に自助グループやピア・サポート・グループが礼賛され推奨されるようになった背景には、こうした援助職側の都合があったとみて間違いありません。当事者の集まりにも方法論(たとえば12ステップ)が必要であり、ただ話し合っているだけでは、一時的に気が紛れても、問題の解決には至りません。
そんなわけで、全国各地で当事者が、医療職・援助職に促されて自助グループを作ってみたものの、グループを熱心に維持する人が去ると同時にグループが消える、ということが繰り返されてきました(方法論が確立していなければ、リーダーシップに頼るしかないため)。グループが継続的に発展することはなく、有効性を持つこともなく、深刻な問題を解決する社会資源たり得たことはありませんでした。
方法論の必要性は、自助グループを立ち上げる際にはハードルとなります。そんなハードルは取っ払ってしまえ、という考えから方法論など不要という意見が生まれてきます。やがては断酒会やAAという先行グループにもそうした意見が浸透していくことになりました。
つまり、医療職・援助職の人たちは、問題の解決を自助グループに丸投げしてしまったのです。それは専門性の放棄でした。とりわけACの問題は「それは病気ではないから」という理由で完全に自助グループに丸投げされました。
問題の解決は当事者の自己責任に任されました。「自助=セルフヘルプ」という言葉が、如実にその理念を物語っています。最近の、自助グループという呼び名を相互援助グループに変えていこうという動きには、押しつけられた責任に対する反発も含まれているのでしょう。
ではどうすればいいのか?
ひとつには「当事者グループには方法論が必要である」という認識を広めていく必要があります。そうしなければ、当事者の苦労はちっとも減りません。
もう一つ、すでにあるグループや、これからグループを始めようとする人たちに方法論を供給する仕組みが必要です。医療職・援助職の人たちがある種の専門性を放棄するのなら、かわりに当事者側に専門性が確立されなければなりません。専門性というのは必ずしも職業と結びついたものではなく、素人(lay)による専門性があっても構わないのです。
これは自助グループがフラットな仕組みではなく、専門性を持った人とビギナーに構造化されることを意味しますから、それに対する反発もあるでしょう。元々自助グループは、方法論を携えたスポンサーと、それを受け取ろうとするビギナーの関係から成り立っており、それがグループを継続、発展させる原動力にもなるのですから、それを否定したら話が進みません。
「依存症からの回復研究会」はジョー・マキューの12ステップを自助グループの人向けに紹介する活動を続けていますが、これも方法論を供給する仕組みの一つに数えて良いでしょう。回復研の集会が何百人という聴衆を集めるのは、方法論の需要がそれだけ高いことを示しています。
もう何年も前になりますが、AAの四谷ビッグブックグループが Back to Basics をベースにしたビギナーズミーティングを始めたところ、毎週百人以上が詰めかける騒ぎになりました。特別なミーティングではなく、普通のAAミーティングにすぎないのにです。それは、人々が「そこに行けば12ステップが分かる」、つまり方法論が得られる、という話を聞きつけたからでした。
当事者の側は自分の問題を解決する手段(方法論)を強く求めています。であるのに、当事者でない人たちが「当事者グループには必ずしも方法論が必要ない」と言ってしまうのが困った話です。
お願いしたいことは、ひとつは「当事者グループには方法論が必要である」という認識を広めて欲しいということです。また、方法論が既存・新設のグループに浸透していくように、当事者たちを励まし背中を押してくれるのなら、実にありがたいことであります。
(この項おわり)
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