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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年07月12日(火) アンビバレンス 地元に「てくてく」という精神障害者の共同作業所を運営するNPO法人があって熱心に活動されています。そこのニューズレターに Wikipedia からの抜粋が載せられており、先日の号では「アンビバレンス」が取り上げられていました。同じように Wikipedia から抜き書きしましょう。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9
アンビバレンスとは、ある対象に対して、相反する感情を同時に持ったり、相反する態度を同時に示すことである。 例えば、ある人に対して、愛情と憎悪を同時に持つこと(「愛憎こもごも」)。あるいは尊敬と軽蔑の感情を同時にもつこと。
(略)
心理学の教科書などでは、アンビバレンスと「スプリッティング」を対置して、「人は幼児期には往々にして両親についてスプリッティングな見方をするが、成長するにしたがってアンビバレントな見方をするようになる」といったような説明をしていることもある。ここで言う「スプリッティング」とは、「ママが大好きだから、パパは大嫌い」というような精神状態。対象ごとにひとつの感情だけが割り振られている状態。何かの拍子に母親の事を嫌いになると、今度は「ママは大嫌いだから、パパが大好き」といった精神状態に切り替わるような状態。そのような精神状態が、年齢を重ね、精神が成長するとともにアンビバレントな状態になると、しているのである。すなわち大人になると一般的に「ママには好ましいところもあるけれど、好ましくないところもある。パパにも、好ましいところがあるけれど、同時に好ましくないところもある」という見方をするようになる、という説明である。
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これを読んでアル中の回復(とか成長)というのを思い描きました。
よく「アル中の白黒思考」と言いますが、アル中というのは物事を「良い」「悪い」のどちらかに決めたがります。良いものはとことん良く、ダメなものはとことんダメという価値判断なのです。
例えば同じアル中の人に対しても、「あの人は回復した素晴らしい人」であるか、またはその逆の「回復していないダメなヤツ」であるかのどちらかです。自分のやり方を理解し共感してくれる人は「素晴らしき理解者」であり味方だとみなし、異論を挟む相手は「自分に悪意を持っている人」すなわち敵だと見なします。
しかも、この白と黒はしばしば入れ替わります。昨日まで素晴らしい理解者として尊敬と理想化の対象だった人が、ちょっとした小さな出来事がきっかけに、とんでもないこき下ろしの対象になることもあります。
Wikipedia を元にすれば、回復していないアル中は「スプリッティング」なとらえ方しかできないわけです。例えば Wikipedia に対しても、百科事典とはいえ素人が編集しているものだから信用できない価値のないものだと見なします。ダメな記事もあれば良い記事もあるというアンビバレントな見方を(Wikipedia相手にさえ)できないでいるのが、回復していないアル中の姿です。
しかし回復が進んでいけば、物事の多くは白と黒の中間のグレーゾーンにあることを捉えられるようになっていきます。
完全に回復した人などはおらず、どんな長い人でもどこかしら回復していない部分を抱えています。まったく回復していなさそうな人でも回復の萌芽を備えています。すべてにおいて自分の味方になってくれる人などいないし、自分の意見に何もかも反対する人もいません。
正しいと同時に間違っている、間違っていると同時に正しい・・そうした見方ができるようになっていくのが回復でしょう。
こうした白黒思考は依存症に限った話ではないようで、例えば境界性人格障害や自閉圏の症状としても取り上げられています。人が精神を病んだとき、あるいは何かの退行が起こったときに、アンビバレントなとらえ方をする能力が失われ、スプリッティングな白黒思考に陥ってしまうのではないか、と考えています。
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