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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年06月17日(金) スポンシーの数 僕にはアクティブな(=ステップに取り組んでいる最中の)スポンシーが現在4人います。一人は現在ステップ9の埋め合わせ中、もう一人はステップ4・5のところ、もう一人は最近始まったばかりでまだステップ1が続きそうです。残る一人はステップワークは別のスポンサーとやっており、僕はソーシャル・スキル担当です。
正直これでも忙しく、一人ひとりのスポンシーに十分な時間を割けているとは言えません。もっとじっくり相手をすべきだと思いながらも、そうできずにいることを申し訳なく思っています。週末は土日どちらか(あるいは両方)スポンシーと時間を過ごし、平日の晩を使うこともあります。4人のうち2人は毎晩電話で定期報告をしてきます(しなくてもいいんだけど)。
要するに引き受け過ぎなのです。普通に働きながら、空いている時間を使ってスポンサーシップをやるのなら、同時進行で2~3人が限度でしょう。あるアメリカのAAメンバーは生涯で八十数人のスポンシーを持ったそうです。その人がどれぐらいAAで活動したか知りませんが、仮に30年だとすれば、1年平均で2~3人。まあそんなものでしょう。
人の時間は有限であり、仕事を増やしすぎれば質が落ちることになる。それはスポンサーシップでも同様です。
何十人とスポンシーを抱えている人もいるのだそうです。スポンシーの数については、ジョー・マキューはこう書き残しています。
「一人しかスポンシーを持たない人もいるが、10人、20人のスポンシーを持つ人もいる。しかし、スポンサーシップを成功させるには時間が必要である。果たして、それほど多くのスポンシーを抱えて、真の助けができるだろうか。私には、それがスポンサーのエゴのように見えることが多い。それに、多くのスポンシーを持つことは、他のアルコホーリクがスポンサーになる機会を奪うことにもなってしまう」(ビッグブックノスポンサーシップ、p.36)
同時にたくさんのスポンシーを持てば、ひとりに割ける時間はわずかなものになり、相手の助けになれなくなってしまいます。それはつまり「誰の助けにもなれなくなる」ということでもあります。「たくさんのスポンシーを持つ」ということが、その人のエゴ、思い上がりではないかという指摘は当たっているでしょう。
もう一つ、他の人がスポンサーをする機会を奪ってしまう、こちらのほうが問題のように思います。誰しもスポンサーとして最初は初心者で、次第に経験を積んで慣れていきます。どうせスポンサーを依頼するなら経験豊富な人に頼みたいと思うでしょうし、頼まれた方も自分がやるのが一番良いと思ってしまうものでしょう。しかし、それは単なる善であって最善ではありません。伝統一を引き合いに出すまでもなく、ひとりが突出しても全体の利益にはなりません。全体のレベルが底上げされてこそ、つまりスポンサーを引き受けられる人材が豊富に存在するほうが、全体の益になるのです。その点でも、スポンシーを引き受けすぎるのは個人のエゴです。
「どうやってステップをやったらよいか」を伝えるのがスポンサーです。しかし、そればっかりやっていると、他の人のチャンスを奪ってしまいます。次は「どうやってスポンサーをやったらよいか」を伝えて、他の人たちの活躍を応援できるようにならねばなりません。その点については僕もまだまだこれからです。
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