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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年05月25日(水) 怒りと恨み ここで言葉の意味をはっきりさせておきます。
怒り(anger)は僕らが良く経験する感情です。例えばあなたが道を歩いている時に誰かがぶつかってきたら、怒りの感情を覚えるでしょう(身体的安全の問題)。誰かが話している言葉が、あなたを怠け者だと指弾しているように聞こえたら、あなたはその相手に対して「私のことを何も知らないで何を言うか!」という気持ちになるでしょう(自尊感情の問題)。
怒りの感情は必要なものです。怒りの感情によって、僕らは自分の安全安心や、自己評価や、そのほか大事にしているいろいろなものを守ることができます。怒りは僕らが生きて行くために必要だからこそ与えられているものです(程度問題ではありますが)。
では恨み(resentment)とは何か。ジョーのステップでは恨みを、re と sentment に分解して説明しています。re という接頭子にはいろんな意味がありますが、ここでは「再び」とか「何度も」という意味です。sentment という英単語はありませんが、sentient(知覚)と語源が同じで「感じる」という意味です。
つまり恨みとは「何度も何度も怒りを感じる」ことです。例えばあなたが「怠け者」と言われたら、その時に「何も知らないで何を言うか!」という怒りの感情を抱きます。その数日後にまた「怠け者」と言った相手に会ったとします。するとあなたの中で数日前の「怠け者」という言葉が思い出され、「再び」怒りの感情を抱きます。さらには、別に相手に会わなくても、その人のことを思い出しただけで、同じ感情がぶり返されます。これが恨みです。
この時、相手は一度だけ「怠け者」と言っただけです。(それも言ったかどうか本当は分かりません。ただあなたがそう感じただけかもしれません)。けれど、あなたは何度も何度も恨みの感情をぶり返し、傷つきます。(相手は何もしていないのに!)
あなたが折角良い気分で楽しんでいても、部屋に相手が入ってきたとたんに、あなたの心に恨みがわき上がり最低の気分になります。これは「自分の感情を相手にコントロールさせている」ということです。相手に謝罪や反省をしつこく要求する人もいます。相手に頭を下げさせればスッキリするかもしれませんが、逆に相手が頭を下げなければいつまでも最低の気分でいることになります。そして、相手が頭を下げるかどうかは相手次第です。つまりこれも「相手に自分の感情をコントロールさせている」のです。
なんとか相手に謝罪させようという努力は、自分が相手をコントロールする努力に見えますが、実は逆で相手に自分をコントロールさせる努力になってしまっているのです。相手はあなたの感情をコントロールしたいとは思っていないでしょう。しかし、あなたが勝手に(恨むことで)相手に自分の感情をコントロールさせているのです。「どうか私を支配して下さい」と頼んでいるようなものです。
僕はそんなのは嫌です。誰の支配も受けたくないし、自由でありたい。自分の感情は自分でコントロールしたいと思っています。だから恨みは手放す努力をします。相手に謝罪を要求することもありますが、相手にその気がなければそれ以上の努力は自分を傷つけるだけに終わります。
恨みがましい人間の感情を支配するのは簡単です。ちょっとその人の気に入らないことをやってあげれば、いつまでもこちらを恨んできます。世の中にはそうやって恨みがましい人をからかって遊ぶ悪い人もいます。恨まれるのは楽しいことではないものの、それで相手の気分をコントロールすることを楽しめるなら安い代償だと考える人もいるということです(恨みがましい人は無視したりスルーすることができないから)。つまり恨むことによって傷つけられやすい立場に身を置いてしまうということです。
恨みという感情は自分が疲れる感情です。脳が疲れれば鬱になります。鬱の人は恨みを抱えているものです。せっかく休息や薬で鬱が改善しても、恨みがましい癖が抜けないので、また鬱に戻っていきます。
恨む人は「私は正しい、あいつが間違っている」と言います。恨むことは、相手にコントロールされること、支配されることを望むことです(歪んだ愛情)。恨む人は幸せと健康を拒み、不幸と鬱を愛する人たちです。
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