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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年05月01日(日) 禁酒運動、パチンコ規制運動 AAの伝統10では、AAは外部の問題に意見を持たないとなっています。
AAメンバーとしてどんな意見を持っても自由ですが、AAを巻き込むような形で外部の論争に加わってはならない、ということです。
とりわけ「政治や禁酒運動、宗教の宗派的問題には立ち入らない」と明示されているので、AAメンバーであることを明らかにして行動しているときは特にこの三点、
・政治
・禁酒運動
・宗派問題
に立ち入らないように気をつけているわけです(もちろん人のやることはしばしば逸脱を伴いますが)。断酒会の規範でも政治や宗教への関与はしないことになっていますが、禁酒運動に関する項目はありません。この違いは両者の歴史の違いによるものでしょう。
アメリカでは建国以来ずっと禁酒運動が続いてきました。禁酒運動と聞くと、それに宗教的な意味合いを感じる人もいるでしょう。禁酒運動には宗教関係者も関わっていますが、宗教的な運動ではありません。アメリカは世界で最も薬物乱用(アルコールも含む)が激しい国であり、酒による治安の悪化や福祉コストの増大を避けるために、アルコールそのものを禁止しようという動きが継続して存在します。それは
「アル中を無くすために、国民全体が酒をやめるべきだ」
というかなり乱暴な主張です。実際これによって禁酒法が実施されていた時期もあります。しかし酒の販売を禁止したことにより、密造酒が横行し、それによってアル・カポネのようなギャングが巨大な利権を握りました。やがて戦争が迫ってくると、ギャングに儲けさせておくより、酒税で戦費をまかなうべきだという話になって禁酒法は廃止されました。
AAが誕生したのはそんな時代です。そして、初期のAAメンバーは禁酒賛成派・禁酒反対派の両方に利用されました。禁酒賛成派は、AAメンバーを「酒の害の見本」として利用し、反対派は「酒のせいで一部の人がアル中になってもそれは回復できる」見本として利用しました。いったいAAはどっちの立場なのか?
AA以前にも様々なグループが存在しましたが、それらは禁酒運動に巻き込まれることで「アルコホーリクの回復」から焦点を外してしまい消滅していきました。AAは同じ轍を踏まないように、禁酒運動には関わらないことを決めたのです。
日本では明治期より宗教的な禁酒運動が展開されていました。それについては全断連のサイトに紹介されています。
http://www.dansyu-renmei.or.jp/zendanren/rekishi_1.html
AAがオックスフォード・グループを母体として誕生したように、日本の断酒会も禁酒同盟を前身としています。宗教的な団体を前身に持ち、やがて宗教色を取り除いた点もAA・断酒会に共通です。
日本では禁酒運動が盛り上がることはなかったので、その点では心配はしていないのですが、最近少し気になっていることがあります。それはギャンブルについてです。最近、パチンコやスロットを規制しようという運動が目立ってきています。都知事が何か言って物議を醸していました。
もちろんそれは政治の問題なので、合意が形成されればなんでも規制すれば良いと思います。石原君は業界の反対を押し切ってディーゼル・エンジンを規制し、東京の空気を劇的にきれいにした実績があります(非実在青少年も規制しちゃったけど)。
気にしているのは、ギャンブルの自助(相互援助)グループの人が、そうしたパチンコ・パチスロ規制運動に参加してしまうことです。もちろん個人としてどんな運動に参加するのも自由ですが、GAやギャマノンの名前をちらつかせれば共同体を危険にさらすことになります。
また同時にそれは新しい仲間を手助けするチャンスを奪うことになりかねません。ビッグブックにはこんな文章があるのをご存じでしょうか。
「不寛容の精神は、その愚かさがなかったら救われたはずの人を追い払ってしまうかもしれない。私たちは禁酒運動をすることが良い結果をもたらすとは考えない。なぜならどんなアルコホーリクも、アルコールを毛嫌いする者からアルコールの話をされるのは好まないからだ」(p.149)
アルコールやギャンブルはこの世の中に実質的に合法化されて存在しています。大多数の人はそれをコントロールして楽しんでおり、依存症になるのは一部の運の悪い人たちだけです。自分たちの行状の悪さを棚に上げてアルコールやギャンブルを非難してみても始まりません。飲酒習慣やギャンブルの習慣に対して寛容であることが、まだ悩み苦しんでいる人たちを手助けするための、僕らが取れる最善の態度です。
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