心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年12月31日(金) 今年も1年ありがとうございました

Webalizerの出力データ。

今年一年の統計データ
送出バイト数 68.0Gbytes
訪問者数 70万8千
リクエストページ数 378万
リクエストファイル数 630万
リクエスト数 600万

今年も多くの皆さんに訪問していただいて、本当にありがとうございました。
一日の訪問者数2,000人足らずというのは、大きな変化がありません。

今年を振り返ってみると、AA的に大きなトピックはスポンサーシップにありました。

話はいきなり逸れます。グループホームや作業所を作ろうと活動している人たちの話を聞くと、障害を持った子供たちも18才までは養護学校で面倒を見てもらえて、親として大変ありがたい。ところが18才を過ぎた途端に、社会的なサポートがぐっと少なくなり親の肩にずっしりとかかってくるというのです。

また統合失調の親御さんたちの話でも、「自分たちが死んだらこの子の面倒は誰が見てくれるのか、これでは死ぬに死にきれない」と言います。「この子」といっても30代、40代の中年になっているわけです。

同じような問題は、アルコールや薬物依存の「この子」たちにも言えます。

「配偶者(奥さんとか)子供と同居」「単身」「親と同居」の3種類のパターンを比較したときに、一番社会的回復に時間がかかるのが「親と同居」のパターンです。もちろん、一概にものを言ってはいけなくて、仕事をしながら老親の面倒を見ている立派な人もいます。しかし、家族や仕事を失って実家に身を寄せ、親の年金で暮らしている依存症者も少なくありません。とりあえず家賃や食費の心配をしなくて済むぶん、社会的回復が先送りされている面があります。

これは、学校卒業後に親から自立することなく就労体験の少ない人にとっても、あるいはいったんは経済的に自立し結婚生活を営んだ後に親元に戻った人でも同様です。この両者にあまり差はなさそうです。

特に男性にとっては老いた母親の作る料理や身の回りの世話、年金などは(経済的不自由に目をつぶれば)それなりに快適なものです。母親がおらず父親だけとの同居だとそれほどの快適性はないみたいですが。

親の心配としては、やっぱり「自分たちが死んだらこの子の面倒は誰が見てくれるのか」ということです。そもそも人の世話にならなくて済むように、経済的に自立して、生活のことも自分でできるようになって欲しい、と息子に願うのが親の気持ちです。

昔だったら、そんなケースでも「2年ほど毎日ミーティングに通わせて、しっかり酒や薬を切るのが先だ」とシンプルなアドバイスをすれば良かったのです。それは酒や薬が止まれば仕事もできるようになる、「酒をやめられれば何とかなる」という前提条件が成り立っていたからです。

しかしその条件が成り立たないケースが増えてきたというわけです。この年齢でなんとかしなければ、親が亡くなってしまった後は、生活保護でどこかの施設に入るしかない・・いま何とかしなくては。スポンサーをやっていて、つくづくそういうことを感じさせられました。

さて、今年最後のミーティングに行って参ります。なんだかんだ言っても、ミーティングがあって、ステップがあって、根本的な酒の問題が解決できるからこそ、その先の問題で悩めるわけですから。

皆様良いお年を。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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