ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年12月24日(金) 掲示板について 過去の話ですが、「これ以上ひいらぎさんの掲示板に書くなら、実家に帰らせていただきます」と奥さんに言われてしまった人がいました。「ぶどう」に限らず、掲示板投稿やブログのコメントを書くことによって精神状態が悪化しているのに、それを自分で止めることができない、という悪循環にハマってしまう人がいます。とばっちりを喰らうのは家族です。
このような聡明な奥さんが、誰にでも与えられているわけではありません。
「心の家路」もすでに9年目。多少なりとも名が知れたようで、リアルで人に会うと感想をいただくことがあります。その中で最も多いのは、掲示板「ぶどう」運営に対するねぎらいの言葉です。
それは「どうしようもない行為を繰り返す人たちの相手を、よく続けてらっしゃいますね」という類の、褒められているのか貶されているのかビミョーな言葉です(褒められていると受け取っておきますが)。
メンヘル(メンタルヘルス)に関する掲示板を運営している以上、いろいろな状態の人がやってきます。回復した人ばかりではなく、精神状態の悪い人たちも来ます。その「どうしようもない行為」については、ある程度の受忍も必要だと思っています。
掲示板運営のねぎらいの言葉に対して、僕の答えはいつも決まっています。
「ご家族の苦労を思えば、大したことはない」
僕はしょせん掲示板で相手にしているだけなのです。それは、自分の空いた時間を使っているだけだという意味です。嫌なら相手にしなければいいし、放置してもいい。スルーする能力は掲示板でのコミュニケーションに必要な能力です。最悪、書き込み禁止で相手を締め出す手段も残されているのです。
けれど、「どうしようもない行為をする人たち」にだって、家族はいるのです。家族は本人に24時間態勢でつきあわなければなりません。相手にしたくなくても絡まれるし、無視すればキレられる。本人を締め出したくても、離婚や別居という面倒な手順を経ねばなりません。まして親子となれば、別れたところで血のつながりは断てないのです。
そういうことを考えると、掲示板から締め出すのも早め早めの決断が求められていると考えています。
ネットワーク環境の普及とともに、掲示板にたどり着く人たちの性質も変わってきました。2009年後半の掲示板のやりとりのなかで、「もはやオープンな掲示板で有意義なコミュニケーションは期待できない」という意見が出ていました。僕もある程度それに賛成です。
実際に僕も「ぶどう」を初めとするオープンな環境から、クローズドなコミュニケーションへと移行しています。例えば直接のメールのやりとりや、メーリングリスト、会員制の掲示板、mixiなどです。管理人がそんなわけですから、「ぶどう」が以前ほど流行らなくなって、単なる情報掲示板になっていったのも当然です。
もともとリアル(対面)の自助グループに関する同好の掲示板だったわけで、ネットでうだうだ言ってないで自助グループに行け、というスタンスなのですから、掲示板が流行らなくても何の問題もなかったのです。
ただ、今回「ぶどう」が変な盛り上がりを見せた中で、やっぱりオープンな環境でなるべく有意義なコミュニケーションをしたいという要望がある程度あることもわかってきました。そのためには「どうしようもない行為を繰り返す人たち」をある程度制止する必要があるでしょう。何らかの形で、掲示板の機能を変更して、その要望に応えていきたいとは思っています。冬休みに時間が取れればやります。
掲示板の意見に偏りがあるという話もありました。個人の運営している掲示板なのだからそれは当然のことです。世の中にはたくさんの掲示板があり、それぞれに特色があります。自分の気に入った掲示板に行けばいいことですし、自分で掲示板なりブログなりを運営して、そこで自分好みにやればいいことです。
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