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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年11月29日(月) アマチュアリズムの大切さ AAのスポンサーは、広い意味では依存症の「治療者」「援助者」です。ただし、AAのスポンサーはプロフェッショナルではなく、アマチュアです。
ただし、ここで使っている「アマチュア」という言葉は、技術や知識が専門的なレベルに達していない素人レベルという意味ではありません。最近スポンサーを始めたばかりで技量の低い人もいれば、長年経験を積んだ素晴らしい人もいるでしょう。技量の高低ではなく、それによって金を稼がない、非職業的であるということです。
AAに先立つこと40年、フロイトが精神分析という分野を開拓しました。この精神分析を世界に広めるのに活躍したのが lay therapist(レイ・セラピスト=素人療法家)という人たちです。彼らは医療や心理の専門的資格は持たず、精神分析のトレーニングを積んだだけの素人でしたが、それで患者を治療し実績を積んでいきました。これが、非資格的療法家の始まりです。
AAもこの非資格的療法家をスポンサーシップという形で取り入れました。
スポンサーになるためには何の資格も要りません。スポンサーになるためのワークショップや研修制度もないし、資格認定があるわけでもありません。スポンサーは資格ではなく、AAの霊的な価値観をどれだけ実現できているかで判断されます。スポンサーに必要なのは、自分が12ステップをやった経験、それを人に伝える技量、意欲、そしてそのことに割ける時間です。
AAが自分たちのことを「素人」だと言うのは、素人であることをレベルの低さの言い訳にするためではありません。12ステップを伝えるという高い専門性を、素人であるがために(つまりそれで金を稼いで暮らしていないだけに)無料で提供できるわけで、素人であることを誇りにしているのです。
ある医師が講演で「私たちは患者さんを診察時間内しか相手してあげられないけど、自助グループに任せればスポンサーさんが24時間態勢で面倒見てくれる」とおっしゃっていました。スポンサーというのは素人ですから、たいていはAA以外のことで仕事をして金を稼いでいます。そして仕事以外の時間帯、つまり本来だったら家族や趣味のための時間を割いてスポンシーの相手をしています。僕もソーバー1年目には、夜中の2時にスポンサーを電話でたたき起こしたことがありました。そこまでの対応をしてくれる人ばかりではないかもしれませんが、多かれ少なかれスポンサーは生活の時間を捧げてスポンサーシップをやっています。
もしスポンサーシップが有料で、スポンサーがそのことで収入を得て暮らしているとするなら、どんな料金がふさわしいのでしょうか。AAが有料で高価なものになったら、12ステップをどれだけの人が手にできるでしょう? AAが自分たちのことを「素人」だと言うのは、無料で提供することに誇りを持っているからです。
またAAはプロフェッショナルということを完全に否定しています。もし精神科医であるとか、心理の資格を持つ人がメンバーになったとしても、そのことはAAの中では捨てなければなりません。また、依存症関係の回復施設のスタッフは、たいていはどこかのグループのメンバーでもありますが、グループのメンバーとして活動しているときには職業のことは伏せなければなりません。これを「(職業家としての)帽子を脱ぐ」と表現します。AAは素人の集まりですから、回復の業界で仕事をしている人でも、AAに来るときは素人にならねばならないのです。まわりのメンバーも、その人の「素人性」を尊重します。
もちろん、AAのメンバーが施設で働いて、そこで12ステップを伝えることで金を稼いでもちっともかまいません。ステップを伝えることを職業にしてもよいのですが、その場合は職業人として活動するときは、逆にAAメンバーであることを完全に伏せなければなりません。(しかるに、施設スタッフであるのに、某グループのメンバーでもあることが露わなブログをやっている人がいて、そこはきちんとして欲しいと思っているんですけど、まあそれはともかく)。
数年前、某イベントでアメリカの回復施設の若いスタッフが「どうしてAAメンバーってこうなれなれしいんでしょう」と不満を漏らしているのを耳にしました。その人は、有名施設で働いている自分をAAメンバーが上座に奉ってくれないのが不満だったようですが、そうした不満を持つこと自体が霊的価値観を実現できていない証左であり、それにふさわしい扱いを受けただけのことだったと僕には思えます。
繰り返します。AAがアマチュアリズム(素人性)を大事にしているのは、素人であることを技量の低さの言い訳にしているわけではありません。スポンサー初心者は経験不足でしょうし、経験を積んでも技量がなかなか向上しない人もいるでしょう。けれど皆が良いスポンサーになろうと努めています。良いスポンサーとは、回復を伝えるために高い専門性を持つということです。
回復施設をもっと良く12ステップを伝えられるように改革していこうという動きが始まっています。それは必要なことですが、僕はそれだけでは足りないと思っています。施設を退所してきた人たちを受け入れる自助グループの側にも質が求められます。回復施設の改革と、自助グループの改革は、車輪の両輪です。
スポンサーをやる人たちは、高い専門性を無料で提供することに誇りを持って欲しいと思います。それを職業としてないことに引け目を感じる必要はまったくありません。むしろそのことが、霊的な価値観の実現に大きな意味があります。ただ同時に、そのプライドに見合っただけの技量を身につけるために自己研鑽を怠らないで欲しいです。僕も良いスポンサーになるための努力を続けたいと思います。
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