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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年11月15日(月) 回復研フォローアップ 先週末の回復研の集会で質疑応答のコーナーがあり、そのなかでACの方から、
「ステップ4で過去のことを棚卸し表に書こうとすると、フラッシュバックが起きて具合が悪くなってしまう」
という質問がありました(言葉は正確ではないけれど、だいたいこういう意味だったと思う)。司会者が僕に振ったので、僕が答えたのですが、限られた時間の中で説明できなかったこともあるので、ここに少し書いておこうと思います。
僕は棚卸しでフラッシュバックが起こる人をスポンシーに持ったことはないので、経験からどうしたらいいかという話はできません。だから、他の人が分かち合ってくれた経験を伝えることにします。回復研というのは、ジョー・マキューという人が確立したステップのやり方を紹介していくのが目的です。AAやNAのメンバーがこのやり方でステップをやれば、それは「ジョーのステップのやり方」でやったということになります。これを回復施設のプログラムとして仕立て直したのが「リカバリー・ダイナミクス(RD)」です。
この「ジョーのステップ」とRDを日本に紹介したのがIさんです。ジョーのやっている施設に一ヶ月滞在して日本に戻ったIさんは、さっそくこのやり方を何人かに試してみました。この時期たまたまIさんの周りにはACの色彩が濃い人たちが集まっていたようです。ところが、その人たちがステップの途中で具合が悪くなってしまいました。そこで、まだ存命中だったジョーに相談したところ、強いトラウマは12ステップではなく、専門家の手によって解決すべきだというアドバイスをもらったそうです。(しつこく何人も試さず最初の一人か二人で気づけよってツッコミはともかく)。
また(僕は記述箇所をみつけていないのですが)、ジョー&チャーリーの本にも強度のトラウマは棚卸しではなく専門家の手によって解決すべきだとあるそうです。
もちろんステップによってトラウマの問題を乗り越えた経験を話している人もいますし、ビッグ・レッド・ブック(BRB)のステップでは被虐待の問題を取り扱っており、ステップがトラウマの解決に役に立たないわけではないでしょうが、強度のトラウマには専門家による解決をお勧めすることにしています。
つい何ヶ月か前、西澤哲先生の一般向け講演を聞く機会に恵まれました。この先生は被虐待やトラウマの専門家で、プレイ・セラピーという手法を使われています。その技法はステップとは異なるものです(何らかのバリエーションではないという意味)。話を聞いた印象では、トラウマを乗り越えて得た自己像と、12ステップによって回復した人たちの自己像は、共通するところがたくさんあるように思いました。おそらく精神の健康という点では共通しているからでしょう。また、最近日本に紹介されているEMDRもステップとは異なる手法です。
とすれば、「ステップがトラウマに歯が立たないとは言えない」ものの、強いトラウマを抱えた人がステップにこだわるのはリスクが大きく、専門家の手にゆだねた方がよいと言えます。トラウマを乗り越えてからなおステップをやりたければ、その時にやればいいと思います。
それとは別に発達障害のことを書いておきます。発達障害を抱えた人にRDが効果があるかどうか、というのは大事な話です。
今年の2月にダルクの招きで、ジョーの後継者であるラリー・Gが奈良でRDのワークショップを行い、僕も参加させてもらいました。発達障害のことを尋ねてみたかったのですが、皆に関係のある話でもないので質疑応答の時間は使わず、昼食を済ませたあとのラリーをつかまえて質問してみました。
「セレニティー・パーク(RDの本拠的施設)では発達障害の問題に対して何かケアをしているのか。また、アメリカでの依存症と発達障害の重複障害の現状を教えて欲しい」
という僕の尋ねに対し、セレニティー・パークでは発達障害を抱えた人は扱っておらず、他の施設へ紹介している。アメリカでは発達障害を抱えた依存症者は、その人たち専門のグループに通い、専門的なケアのできる施設に通っている、という答えでした。
ジョー&チャーリーにせよ、RDにせよ、すでに30年以上の経験が積み重ねられています。その中で強度のトラウマや発達障害に対する適用には慎重な姿勢が作られてきました。僕はそうした実体験はありませんが、先達の経験は尊重するべきです。ジョー、チャーリー、ラリーの経験に対して異を唱えて無謀をする必要はありません。彼らの自らの限界を知る姿勢は好感を呼びます。
何でもステップで解決できるわけではなく(当たり前の話)、個別の問題には個別の対応が必要です。自助グループでスポンサーをやっている人が、そうした専門的な技量を持つ必要はないし、それを求められてもいません。ただ、自分の限界をよくわきまえておき、必要に応じて専門家につなげることが求められているわけです。
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