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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年11月09日(火) 発達障害と12ステップ 掲示板でのやりとりをご覧になれば、12ステップがある種の問題には効果を示さない(示しにくい)ことが見て取れると思います。
12ステップはconfrontation(直面化)が基盤です。自分がアルコールへのコントロールを失っているという事実に直面することが大事です。直面するからこそ、「アルコールに対して無力である」と認められるわけです。しかし依存症は否認の病気であると言われるように、「不都合な真実」に直面するの避けようとする心理が働きます。たとえば、飲んでいた頃は酷いこともしたが、それは酒に酔ったせいであって、しらふの今は正気である・・という言い訳のように。
さらに先のステップに進むと、自分の中にある恨み(怒り)、恐れ、人に与えた傷に直面していきます。その自省によって自分への洞察が生まれます。さらに先のステップでは人に与えた傷について謝罪や補償する行為を通じて、自分の心の中の汚れをぬぐい去っていきます。内面の変化が行動の変容をもたらします。
しかし、自分が人に与えた傷に対して直面できない人たちがいることに気づかされます。「人を傷つける」というとたいそうな言葉ですから、迷惑をかけるとか、非礼をするという言葉で置き換えても良いでしょう。それは、人を傷つけて平気でいる(罪悪感を持たない)かのように見えるわけです。
ある種の人たちは、自分の言動が非礼であることに気がつけません。そして相手がいきなり怒り出して当惑します。そうした相手を責めるか、自分の何が悪かったのか分からず悩みます。あるいは、相手のちょっとしたひと言やしぐさに囚われ、相手が自分を嫌っているのではと勘違いして、疎外感や孤独感を感じます。(逆に愛していると勘違いするときもある)。言葉の行間や、婉曲表現、場の雰囲気を理解できません。あいまいな概念を把握できず、字句をその字面通りに解釈します。
これは広汎性発達障害の特徴です。このジャンルには、アスペルガー症候群、自閉症(カナー型)、高機能広汎性発達障害、PDDNOSが含まれます。共通するのは想像力と言語の障害です。人の気持ちを理解することが難しく、結果として人を傷つけたことが理解できません。
人を傷つけたことが自覚できない。あるいは、人が別に傷つけてこないのに、恐れを感じ、相手に恨みを持つ。こうした人の行うステップ4・5(棚卸し)の自己洞察は、常人の理解を超えた世界になりがちです。というのも、棚卸しというのはその言葉通りに(商売の棚卸しでも、自分の棚卸しでも)「事実に基づいて行う」必要があるのですが、広汎性の認知の特性によって表に書かれたことと、事実の間に乖離が生じてしまい、望ましい自省に結びつかないのです。
それでもその人なりの掃除が行われれば、心の風通しが良くなって目覚めも経験するようです。だが、その回復の姿は「ひとりよがりの回復」という印象を与えるものになります。
またこれとは別に、認知は正しいのに自己洞察がうまくいかない人たちがいます。
残念ながら、そういうタイプの人たちと深く長くつきあった経験がなく、棚卸し表も拝見したことがないのですが、おそらくは表の中身は事実と大きく乖離してはいないでしょう。ところがそれによって得た自己洞察を長く保持することができないのです。興味関心の対象が移ろいやすく、自己洞察ですらすぐに消えていってしまうのです。
これはADHD(注意欠陥・多動性障害)の特徴です。このタイプの人たちは、同じことで悩み続けることができません。しかししばらくすると同じトラブルを起こして、また同じことで悩んでいます。結果としてこういう人の回復したという主張も「ひとりよがり感」を与えることになります。
どちらのタイプでも、障害がそれほど重くなければ、ステップは「その人の内面には」効果を示す可能性は十分にあると思われます。実際明らかにそう言うタイプの人でも自分が変化したと言う人がいます。しかし内面の変化が、行動の変容へと結びつくとは限りません。なぜなら、障害は残ったままで解消したわけではなく、その障害にステップは効かないからです。また、障害が重ければ、ステップを進めることができなくなる場合もあります。
ついでに書いておくと、広汎性(PDD)とADHDはふたつに明確に分けられるものではなく、中間タイプや重複した人もいます。
困ったことにこの種の障害を抱えた人に限って、「ステップは万能である」という意識にとりつかれます。彼らは12ステップが人生の困難のすべてを解決してくれると信じてしまいます。もちろんそうではありません。12ステップで糖尿病は治らないし、なくした足が生えてくることもありません。糖尿病には糖尿病の治療が、足が悪い人には松葉杖や車いすが、目が悪い人にはメガネが必要です。ステップ万能論の危険は、目が悪い人からメガネを取り上げることにつながることです。
では発達障害にとって、メガネや車いすに相当するものはあるのか。残念ながら大人の発達障害に対する対策は近年始まったばかりで、本当になにもなく、すべてはこれから、と言っていいぐらいです。しかし、子供の発達障害については、すでに10年、20年経験が積み重ねされており、各地に専門家がいます。子供の発達障害も、大人の発達障害も、その対応には大した違いはありません。すでに得られた経験を、大人に適用していくことは有効です。
実はスポンシーの一人がこのタイプのトラブルを抱えていて、彼との毎日のやりとりをこの雑記に書けたら関心のある人にとってはとても興味深いと思われます。もちろん、プライバシーや守秘のことがあるので、書くわけにはいきません。いつかたくさん経験を積めたら、総合的な話をここで書くことができるかもしれませんが。
残念ながら12ステップではすべての問題は解決できません。足の悪いのや目が見えない障害だったら周りの人にも分かりやすく、それが障害だと理解してもらいやすいのですが、ADHDやPDDは障害だと認知しづらく、本人にとっても周囲にとっても誤解の元です。
PDDやAHDHは心の問題だと勘違いされやすいゆえに、12ステップで解決できる(解決した)ような話になってしまいがちです。けれど、ステップでそれを解決しろと言うのは、足の悪い人から車いすを取り上げ、目が悪い人からメガネを取り上げるのと同じ行為で、実に困ったものなのです。また、本人の側もやっぱり否認が強いわけであります。
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