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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年09月13日(月) 健康な人は自殺しない 自殺予防週間だそうです。
健康であるのに自殺してしまう人はいません。そこを勘違いしてはいけないのです。
何らかの苦しさから逃れるために、酒を飲む人がいます。処方薬を多く飲む人やリストカットをする人もいます。それは苦しさに耐えて生き延びるための手段です。人は「生き続けたい」という自己保存の欲求を強く持っていて、たとえやっていることが自己破壊的に見えたとしても、それは生き延びるための手段です。だから、自己破壊的な行動さえなくなればいい、と安易に考えてはいけません。
リストカットやODをした人に「もう絶対しないと約束して」と言っても無駄で、しなければもっと苦しくなってしまうだけです。断酒すると飲んでいた頃より苦しくなります。酒や薬で麻痺させる手段が使えなくなるからです。その苦しさを別のもっと健康的な手段で解消する必要があるのですが、そのためには金も時間も手間も必要になります。(その手段の一つが自助グループですが、自助グループがすべてとは言いません)。
リストカットでもODでも、あるいは飲酒やギャンブルでも同じですが「耐性」が形成されるので、同じ効果を得るために、より激しく、よりたくさんやる必要が出てきます。けれどそれにも上限がありますから、やがてはどうやっても望んだだけの効果が得られなくなります。それは生き延びる手段を失うことを意味します。その時、死ぬことが究極の解決として選択肢の一つに挙がってきます。生き延びるだった手段が、人生にピリオドを打つ手段に変わってしまうわけです。
そういう意味では、依存症の人や、リスカやODをやるひとは、生きる欲求の強い人だと言えます。やっていることは問題行動なので病んでいるのですが、根源的な自己保存の欲求の部分は健康?です。
問題行動を起こさずいきなり自殺してしまう人がいます。彼らは健康なのに自殺したのか? そんなことはありません。生き続けたいという根源的な部分が病んでしまった結果です。(その多くがうつ状態だという話には説得力があります)。
あるセミナーで、講師が「人には自殺する権利があると思いますか?」というお題を出しました。
これには例外はあるかもしれません。拷問され脱出できず、なぶり殺しにされるしかない状況があったとしれば、苦しみから逃れるために死を選ぶことまで否定できません。けれど、そうした特殊な状況を除けば、「自殺する権利はあるか?」と尋ねられたとき、「そんなものはあるわけがない」と即答できるはずです。
そこで自殺する権利があるのかないのかちょっと考えてしまった、という人は、死んでいるより生きている方が良い、という信念が揺らいでしまっているわけで、根源的な自己保存の欲求が弱くなっているのじゃないか・・・つまり病んでいるのじゃないか、自分のことを気にした方が良いかもしれません。
最後は人のことより自分の心配をしろ、という結論になってしまいました--;
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