心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年08月13日(金) アルコール依存とDV

最近AAミーティングで妻を殴ったという話をあまり聞かなくなりました。
僕がAAに来た十五年ほど前には、家庭の中の暴力とか、自分がその加害当事者であるって話は珍しくもなんともありませんでした。最近そういう話を聞く機会が減りました。

たぶん、アルコール依存の人のDVが減っているのでしょう。(ここでは身体的暴力という狭い意味のDVを指している)。

自分がDV加害者であることをミーティングでカミングアウトしなくなってきただけ、という可能性もあります。一方、実数として減っている可能性もあります。

断酒会の古い人が「今の若い奥さんたちはすぐに離婚してしまう」と言ったそうですが、酒をやめないダンナを最後まで支える奥さんが減っているのかもしれません。奥さんが殴られる前に離婚してしまえば、ダンナのほうも殴らずにすむわけです。そもそも世の中が離婚しやすくなっている影響もあるのでしょう。

また、依存症についての知識が広まり、DVが発生する以前の早い段階で、医療や自助グループに来る人が増えていることもあるのでしょう。そこで酒がやまらなければ、さらに病気が進行して奥さんを殴るようになったとしても、とりあえずAAミーティングという観測窓から見ている限りは、DVは減っているように見えるのかもしれません。

個人的な印象としては、アルコールの人より薬物の人のほうが暴力に訴えやすい傾向があるように感じられます。最近のダルクやNAの広がりによって、薬物主体の人がAAでは減っていることも関係あるのかも知れません。

ひょっとすると、一時期下火になっていたスポンサーシップがAAの中で再び盛んになりつつあり、家族への暴力のようなデリケートな話は、ミーティングではなくスポンサーとの間で行われているのかも知れません。

いろいろ可能性がありますが、やはりこれだけDV話が珍しくなるってことは、アルコールの人のDVが減っていると考えたほうが自然だと思います。昔のデータと今のデータを比較しているわけではないので、憶測の域を出ない話ですけど。

DV加害者プログラムをやっている信田さよ子先生が、薬物の人は何人か来たけれど、アルコールの人はまだ一人も来ない、と言っていました。信田先生は「アルコール依存の家には必ずDVがある」と言っていますが、それは何をDVと捉えるかによります。広く言葉の暴力まで含めればそれは真実です。身体的暴力に限ればそうとも限りません。信田先生がアルコール臨床の真ん中にいた1980年代と現在とでは、患者像にずいぶん違いがある気がします。アルコール依存の人がDVの加害者臨床に登場しないから、アルコールの人はDVの問題に熱心ではない、と捉えるのは無理があると思いました。

僕は信田先生のファンであるだけに、そういう言葉の細かいところが気になってしまうのかもしれません。

12ステップの棚卸しと埋め合わせには、自分の行った加害行為の再評価と傷の修復の働きがあります。そういう部分もDV加害者プログラムをやっている人たちには理解されていないようです。これは専門家たちの勉強不足を責めるよりも、自助グループ側の情報発信力の弱さが問題なのでしょう。

日本の自助グループは閉鎖的すぎる、というのが神戸で感じたことの一つでした。

ひとつ前の雑記で、日本の自殺数が12年前不自然に急増していることを書きましたが、それについてメールをいただき、下記の資料を紹介いただきました。この場にてお礼を申し上げます。

平成10年における自殺者数の急増要因
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2007/pdf/pdf_honpen/h022.pdf
平成19年版 自殺対策白書
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2007/html/gaiyou/index.html


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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