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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年06月15日(火) 優れていたから断酒できたわけではない 確かに僕は十何年間か酒を飲んでいません。
それだけ断酒が続くということは、僕に何か優れた点(例えば「断酒に向いた資質」)があると考える人もいます。
でもそれは大きな誤解です。
もし僕が再飲酒したとして、もう一度断酒できる確率はどれぐらいでしょうか?
「ひいらぎさんみたいな人だったら、きっとまた断酒できますよ」という人もいます。でもそれは誤りで、「他の人と変わらない」が正解です。
何年酒をやめていても、また飲んでしまったら今度は細かな再飲酒の繰り返しになってしまって、(今のところ)自助グループに戻ってきていない、という人はいくらでもいますし、中にはそのまま死んでしまう人もいます。
自助グループは確かに断酒に役に立ちますが、そのメンバーになっていることが(再飲酒後の)断酒に対する能力の高さを示しているわけではありません。もし、断酒会やAAのメンバーを100人並べて、全員を谷に突き落とし(酒を飲ませ)たとすると、谷底からはい上がってこれる(再度断酒できる)人の割合は、いま入院中の患者さんたちと変わらないはずです。
断酒が始まったときに、断酒会やAAに通おうと思ったのは、何らかの幸運に寄るところが大きいわけで、別のタイミングだったら同じ人でもダメだった可能性が高いのです。(AAメンバーであれば、その気にさせてもらえたのもハイヤーパワーのおかげと言うかもしれません)。
以前にも書きましたが
「行ったり来たり」
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20100503
再飲酒する人は、飲んでもまた酒をやめることができる、と考えているのです。
もし酒が毒薬で、飲んだらその場で死んでしまうなら、本物の自殺志願者しか再飲酒しないでしょう。アル中は緩慢な自殺だと言いますが、実際には生きるために飲んでいるのであって、再飲酒は自殺ではありません。再飲酒しても生き残れると思うからこそ、目の前の酒が飲めるのです。
今回の断酒(ソブラエティ)が、何らかの幸運(偶然)によって得られたもので、次もチャンスが与えられるとは限らない(今度飲んだらそのまま一生やめられないかも)という事実に思い至れれば、今飲まないで生きていられることの奇跡に感謝できるというものです。そう、ソブラエティは貴重なものだからこそ、大切にしなければならないのです。
「またやめればいいよ」というのは、飲んでしまった人を慰めて、またやる気を出してもらうためにかける言葉です。今やめている人間が自分に対して使うのはそれこそ自殺行為です。
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