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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年06月05日(土) 病気だから 「病気だから」という理由で、許してもらえる不始末はたくさんあります。
インフルエンザにかかったら仕事を休んで当然ですし、精神病であれば犯罪が不起訴になることもあります。
病気に無理解ならともかく、理解しているならば症状を非難しても意味がないことは分かります。
依存症というのは「自分の思い通りにしたい」病気です。それが病気の症状であり、具合が悪ければ悪いほど、その症状も重くなります。例えば、自分が悪かった場合でも素直に謝罪することができなくなります。「ごめんなさい」が言えないのも、アル中という病気の症状です。
例えばAAというのは、そうした病気の人の集まりですから、仲間の症状を責めることはしません。気に入らないことがあれば椅子を蹴って出て行ってしまってもいい。そして次の回には何食わぬ顔でそこに座っていてもいい。それが何事もなかったように受け入れられる。(現実のAAがそうなっているかどうかはともかく)それが一つの理想の姿です。なぜなら、「思い通りにならないのが気に入らない」と出て行ってしまうのも症状だし、「この前は失礼なことをしてごめんなさい」と謝れないのも病気の症状だからです。
それを責めても仕方ありません。「回復してない奴は仕方ないよね」と肩をすくめて、その件は終わりにするしかないのです。頭が下げられるようになってくれば、それだけ回復したね、と言われる仕組みです。
スピリチュアル(霊的)というと、なんだか超自然的な怪しげなものや、聖書の真髄みたいなものを想像するかもしれません。だからスピリチュアルなものを求める人は、聖書を読んだりします。けれど、スピリチャリティ(霊性)というのは、例えば人と人とのつながりです。それが霊性の本質なのかどうかは知りませんが、現象面から見えるのは人と人とのつながりです。
だから、スピリチュアル(霊的)に病んで症状を出している人は、人とのつながりが断ち切れていきます。その症状が例えば、「失礼なこと、わがままなことをやっておいて、後になっても謝りもせず、それを当然だと思っている」というわけです。確かにそういう人は、つきあってくれる人が次第に減ってしまいます。
ビッグブックには、霊的に病んだ人から傷を受けたとしても、病気だと思って許すしかないとあります。健康な人は、ビッグブックを読まずとも、そのことは分かっています。世の中には霊的に病んだ人との関係を断ち切るわけにいかず、付き合いを続けざるを得ない立場の人もいます。病んだ人というのは、周囲の人たちに「病気だから」という理由で許され続けているのです。(まあ、病気だからと意識はされていないかもしれませんが)。
ここの「ぶどう」の掲示板も霊的に病んだアル中さんたちが来るところです。だから、症状を出している人もいます。悪態をついて出て行ったヤツが、しばらく時間をおくと、しれっと戻ってきたりします。その時に、前回は失礼をしましたと頭を下げる人はなかなかいません。
例えば普通の職場でそんなことをやれば嫌われ、繰り返せばその職場にいられなくなるでしょう。友達づきあいもそうです。子供の遊びだって、わがままをやったあとは「ごめんなさい」を言わなければ、再び仲間には入れてもらえないものです。
アル中さんは「頭を下げたくないから(謝罪するのがイヤだから)もうあそこには行かない」ということを良くやります。オレはアイツらが嫌いだと言っているパターンは、たいてい謝罪から逃げ回っているだけです。そうやって、人とぶつかり続けて自由に動ける範囲を狭くし、苦しく生きているのがアル中さんです。ステップ8・9というのは、それを打破するステップでもあります。
「ぶどう」に限らず、ネットの断酒板やブログなどのアル中コミュニティには、具合の悪い人が必ずいます。例えば、ひいらぎ(やその周りの人)に失礼なことを面と向かって述べて、しかもそれに謝罪もできない人がいたとしても、僕は「その人は病気だし、それは症状に過ぎないのだから」と許すしかありません。それが唯一取りうる選択肢だからです。それは僕が特に寛大な人間だという意味ではありません。本当にそれしか選択肢がないのだし、それが一番楽な道だからです。(介護職員の人が認知症のジジババに対して持つ感情に近いのでしょう)。
何の話がしたいかというと、何ヶ月、何年酒をやめていようが、そのように「病気だから」「症状を責めてはいけないから」という理由で人に許してもらっているうちは、「回復している」とは見てもらえない、信用してはもらえないということです。
そうやって病気だからと許してもらっておいて、「重症だ」「回復していない」という評価をもらうと、気分を害するのも、これまた具合の悪さ(症状)なのでしょう。
人はアル中の言葉なんか聞いちゃいないのですが、行動はよく観察しているものです。いくら本人が「自分は回復した」と主張しても、行動でバレてしまうわけです。何を言うか(ネットに何を書くか)じゃなく、どんな行動をするかで判断されているんだ、ってことが・・・まあ、具合の悪い人に理解できるはずもないのですけどね。
さらに何が言いたいかというと、そういう症状丸出しの状態から、人は回復できるということです。具合の悪い人をバカにしているわけではなく、そこから良くなれるんだから、良くなろうよというわけです。しかし、それが上から目線だと感じられてしまうわけだ。
平等に扱われていても、「上から目線で言われてる」と感じてしまう。特別扱いされたい(甘やかされたい)病気なんですな、依存症って。
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