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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年05月17日(月) アディクションセミナーに参加 横浜のアディクションセミナーに行ってきました。
もう20年以上続いている催し物ですが、僕は初めて参加しました。
中身について個々に書くことはできないので、印象に残ったり、思いついたことだけメモしておきます。
ギャンブル依存症で、例えば対象はポーカーゲーム賭博という人の場合。賭博には詳しくないのですが、賭博用のゲーム機ではなく、普通に風営法で許可を得た賭博の絡まないゲーム機を置いてある店もあるのだそうです。
で、ポーカーゲームをやっても「賭けなければいいんだろう」と、そういう(普通の)ゲーム機で遊ぶのだそうです。でも、もうその時点でスリップは始まっていて、やがて賭博店に出入りするようになってしまうのだとか。
ノンアルコールのビールなら大丈夫だろう・・・そう思っていると、やがて本物のビールを飲むようになってしまう、という話と同じ図式ですね。
午前中はオープンスピーカーズ、午後の分科会は前半は回復研に参加。後半は女性の回復施設か共依存のグループの分科会に参加しようと思ったのですが、行ってみると部屋の中が女性ばかりでとても入れる雰囲気じゃなかったので、すごすご退散してロビーで雑談して過ごしました。
前日の上映会で見た映画『アヒルの子』の監督&主演の小野さやかさんが、フォーラムの入り口で映画のパンフを配っていました。ちょっと感想をお話しして、「20才であんな映画が撮れるなんて、嫉ましいぐらいの才能だ」と言ったらグーでパンチされてしまいました。
映画も見ないでサインをもらったヤツは、ちゃんと見に行って欲しい。
http://ahiru-no-ko.com/
ご本人は「私そんな(サインを求められるような)じゃない」とご謙遜でしたが、いやそんなことはないはず。
内容はリンク先を見ていただければわかりますが、5歳の時に1年間親元を離れ、ヤマギシ会の幼年部に預けられた少女が、それを「親に捨てられた」と思い、二度と捨てられないためにその後ずっと「良い子」を演じてきた。そうやって自分を失った彼女が、自分を取り戻すために撮影カメラを携えて家族一人一人と対峙していくという話。
柳美里のような文章であれば主観でなんとでも描写できますが、映画の場合(編集が入るにせよ)カメラはすべてを映し出してしまいます。「アヒルの子」については、記憶が新鮮なうちにまた別のところ(たぶん「家出」)で書きたいと思います。前日の上映会の後にワークショップがあり、たぶんそこで映画の後の5年間の話を聞けたのが、僕にとって良かったのでしょう。
そのワークショップで芹沢俊介から2メートルのところに自分がいたとは、思い出してもちょっと信じられません。自分もあんなふうになれたらいいと思うのですが、まあ無理でしょう。
話をアディクションセミナーに戻して、ある人が「日本の自助グループは、いままで問題ばかりが分かち合われてきた」という話をしていました。同じ悩み、苦しみを抱えた人がミーティングに集まって「ほっ」とする。その「ほっ」とするところで終わっており、問題をどうやって解決していくかという話になかなかならなかった。それが昨今一歩進んで、解決方法とか、解決した結果どうなったか、という話が分かち合われるようになってきた、というわけです。
日本の自助グループが、いま転換点にさしかかっていて、いままでと考え方ややり方が変わっていくという意識がずいぶん共有されていると思います。ともかく僕は、その現場に立ち会って(というか巻き込まれて)いきたいのです。
帰ったらメーリングリストに同じ話が出ていました。
たぶん賢さとは、どのように状況に巻き込まれるかだと思うのです。
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