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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年03月24日(水) 仲間の「支え」 スポンサーだからといって、スポンシーのことを勝手気ままに雑記に書いて良いわけではありませんが、少し書いてしまいます。
スポンシーのひとりからは毎晩電話をもらっています。その電話代は月に数百円では済まないでしょうが、それも回復の費用だと思ってもらうしかありません。ミーティングに通う費用や仲間と飲むコーヒー代と同じことです。
毎日の電話の内容に大きな変化はありません。変わりがないことも大事な情報です。変化がない状態が続いていれば、小さな変化に気づくこともあります。
最近スポンシーの電話の中で、「ミーティングの前(や後)に○○さんと話をしました」という話題が出てくるようになりました。以前はそういう話題が出てくることはありませんでした。もちろん以前からミーティングの前後に仲間と話をしていたでしょうが、その「仲間と会話した」という事実は、家に帰ってスポンサーに電話する頃には頭に残っていなかったわけです。なぜ頭に残らなかったのか、それは話の中身が他愛のないことだったからかもしれず、回復に関わることなのに彼の頭に引っかからず残らなかったのかもしれません。
しかし今は「仲間と会話した」ことが彼の一日の中で大事なことだと感じるようになったわけです。この変化が起こるまで、毎日ミーティングに通って半年かかりました。いかにアル中が人間関係を苦手にしているか、それを乗り越えるのに時間を要するかがわかります。
もちろんスポンシーも過去に、他の人と心の深い部分で通じ合った(と思った)こともあったはずです。けれどそれは酒か薬が身体に入っていたからこそできたことでした。いざ酒や薬が使えなくなって、しらふで世間に放り出されると、どうやって人付き合いしたらいいか分からずに途方に暮れてしまう、それはどのアル中さんにもあることです。
もちろん、表面的な付き合いはできるのです。というか、表面的な人付き合いは上手だったりします。自分の内面を隠して飾って(虚勢を張って)見せることは得意なのです。そして、人付き合いとはそういう表面的なことだと思ってしまっているので、人間関係に虚しさを感じていたり、人に対する恐れを持っています。
そういう偏りを取ってくれるのは、ステップよりも、仲間という人間の存在によるものです。であるからこそ、気まぐれにあっちの会場、こっちの会場に行ってもらうのではなく、当面同じミーティングに通い続けてもらう、というのが僕の考え方です。
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