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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年10月21日(水) hit bottom 「AAの誰もが、まず底をつかなければならない」(12&12 p.33)
回復には底つき体験が必要だと言われます。
では「底つき」とは何なのでしょうか?
僕はこのことに長い間明確な答えを出せずにいました。
「ほかの人と比べると極限まで行き着かなければ底つきの経験ができないアディクトもいる」(NA p.8)
AAの中には、仕事も家族も住む家も失った経験のある人がいます。彼らの経験は壮絶です。健康を極端に害してしまい、薄いお粥のようなものしか食べられない人もいます。福祉施設に暮らし、自分のものはバッグ一つに収まるだけの人もいます。まさに「底」というにふさわしい体験です。
しかし、回復に必要な底つきは、そういう種類とは違うようです。なぜなら、いろいろ失っていないうちから回復を始める人もいるからです。
では「底つき」とは何なのか、もう一度その問いに戻ります。
AAの本の中で「底つき」という言葉は、12&12のステップ1に出てきます。ステップ1はアルコールに対する無力を認めるステップです。「底つき体験」とは「無力を認める体験」そのものです。
ではアルコールに対して無力とはどんな意味なのか?
無力とは「力がゼロ」ということです。自分は酒をやめる能力がゼロであって、自分の能力を頼っていれば(現在は飲まないでいても)いつかは必ず再飲酒する、というのが無力の正体=底つき体験です。
自分は酒をやめる能力がゼロである。この大問題を解決するためには、自分以外の「力」が必要です。その力=自助グループとすれば、AAや断酒会に通い出すことが「底つき体験」ですし、ステップの場合には力=神とするわけです。
はしょって言えば、自力での断酒を諦め、自助グループを信じ出す(あるいはステップを始める)のが「底つき体験」そのものです。(通っていても信じていない場合もありますが、それはまた別の話)。
社会的などん底まで行き着かなくても、まだ失うものが少ないうちに回復が始まることを「底上げ」と呼びます。そりゃ仕事や家族を失わないうちに回復が始まった方が良いに決まっています。ずいぶん前から底上げの必要性が叫ばれていますが、はたして成果が出ているのでしょうか。自己流の断酒をしている人が増えただけの印象です。
AAにいる人たちの多くは自己流の断酒を試み、やがてそれを断念して「底つき」した人たちです。自分には自己流の断酒期間が必要だったと言う人もいますが、単なる時間の無駄だったと言う人もいます。自己流の期間を節約し、早く自助グループにつながることができれば、そのぶん「底上げ」につながります。
医療機関による依存症の早期発見・早期治療によって、断酒を始める人は増えていると思われます。けれど彼らの多くはまず自己流の断酒を試みます。自己流は底つきの時期を人生の後ろにずらす効果しかありません。アル中さんの平均寿命を延ばす効果はあるかもしれませんが、回復時期が後ろにずれるのは人生における苦しみの総量を増やしてしまいます。
早期発見・早期治療が「底上げ」につながっていないのが現状です。
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