心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年10月10日(土) 説得者

「アルコールは偉大な説得者だった。アルコールはとうとう私たちを打ち負かし、正しい状態に叩き込んでくれた。だがそれはうんざりする道のりだった」(第4章)

午後は仲間とビッグブックの分かち合いをしていました。ちょうどここを読んだときに「そうなんだよね〜」とうなずきあった次第です。

AAのプログラムをやってみるように、誰かを説得するのは無理な話です。それは自ら選び取らなければなりません。まだ飲みたいとか、自分のやり方を試したいというのなら、ご自由にどうぞと言うしかありません。

ではなんで強制的にミーティングに通わされている人の中から回復する人が出てくるのか? 強制は意味がないのじゃないのか? このカラクリは単純で、最初は強制されていたものを、やがて自ら選び取るようになる仕組みです。

二ヶ月ほど前に仮スポンシーができました。最初の指示は二つだけです。毎日ミーティングに行くこと(AAがない曜日があるのでその晩は断酒会)、帰ったら電話をくれること。そんなわけで、我が家の電話は毎晩鳴るわけです。実際に彼がミーティングに行っているのかどうかは確認していませんが、電話が来ているうちは大丈夫でしょう。そこまでやっていれば、例え彼が飲んでしまったとしても、スポンサーとしては「それは病気だから仕方ないよ」と慰めの言葉をかけてあげられます。
(それをサボって飲んでしまったのなら、「ほらみろやっぱり」と言うだけです)。

もちろんこれを一生続けるわけにもいかないので、そのうち別のことを始めねばなりませんが、それはその時が来てからのことで、今心配することではありません。

かまやんさんの ブログ に野球の話が出てきて、昔僕も同じ話を聞いたのを思い出しました。

野球はボールをバットで打って、前に飛んだら一塁を目指すスポーツです。一塁に達したら二塁、三塁を目指します。それを、なんでボールを打たなきゃならんのか? なんで一塁に行かねばならんのだ、二塁や三塁をいきなり目指しちゃいけないのか? などと言っていると、みんなと一緒に野球ができず、ひとり淋しく過ごすかないわけです。

理屈はわからなくても全然構いません。本塁と一塁の間がなぜ約27メートルなのか、知っている野球選手がどれだけいるでしょう? あれに理屈はないのですね。それが「ちょうどよい」長さだったからにすぎません。同じように、仮スポンシーの彼にとって毎晩ミーティングに行くのが「ちょうどよい」というだけの話です。素直にミーティングに通っているから見込みがあるわけで、うだうだ言うようなら面倒を見ないだけの話です。

では、うだうだ言っているだけのヤツには、どう対応したらいいのか?
それは冒頭のとおり、説得を試みても時間の無駄です。放っておいて自分の好きにやってもらうしかありません。今飲んでいてもいなくても、いずれ「アルコールに説得され」ますから、その時に僕らが役立てるチャンスが来るかも知れません。飲まずに一生過ごせるなら、僕らの用はないわけですし。

放置プレーも立派な介入技法なんですってば。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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