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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年10月01日(水) 対症療法をしない 午前中の仕事が一息ついたので、雑記を書いてみたり。
昨日のミーティングは「ステップ7」でした。
6と7は性格上の欠点と神との関係がテーマです。
僕は最近、「性格上の欠点は、いわゆる風邪の症状みたいなものなのではないか」と思うのです。
風邪を引くと、熱が出たり、咳や鼻水が出たり、頭が痛くなったり、めまいがしたり、お腹を下したり・・・といろいろな症状が出ます。
性格上の欠点もいろいろで、12&12のステップ4には「七つの弱点」として高慢、怠惰、飽食・・などがあり、ビッグブックには自己中心、不正直、恐れ・・などがあります。
で、風邪の症状のバリエーションと、性格上の欠点のバリエーションが、よく似てる気がします。症状を治そうとしてみても始まらないのではないか、と思うのです。
つまり、熱が出るから解熱剤、咳が出るから咳止め、下痢すれば下痢止め、そんな感じで対症療法をやって無理して活動するよりは、休めるならゆっくり布団で休んで風邪そのものを治すのが本筋です。同じように、高慢だから謙虚になろうとか、怠惰だから勤勉になろうとか、不正直だから正直になろうとか・・、これもやっぱり対症療法に過ぎないのではないかと。本筋は霊的な病を治すことだと思うのです。
じゃあ霊的な病とは何なのか・・。AAの言葉で説明せずに、別のところ(実はうつ病の本)から引っ張ってきましょう。
・自己肯定感の欠如(自分との親密さの欠如)
・他者との親密さの欠如
・神との親密さの欠如
スピリチュアルな健全さとは、自己信頼があって、他者や神と親密な関係を築いている状態でしょう。同時にこれは「霊的に目覚めた、アルコールから解放された状態」として、AAメンバーが目指すべき目標です。
大切なことは、ステップ2と3の理解。スピリチュアルな目覚めが、私たちをアルコールからも他の問題からも救ってくれるという理解。そして、ステップ全体はそれを目指す手段だという理解です。
ところが、ステップ2と3をすっ飛ばして、6と7で「性格上の欠点」と向き合ってしまうと、そもそも自己肯定感がない人、あるいは他者(神)との関係に親密さより恐れを感じている人は、たとえばこんな風に考えてしまいます。
「自分は怠惰である。だから人から認めてもらえないのだ。怠惰をやめ勤勉になれば、みんなから良い人だと認めてもらえるのじゃないか」
こうやって努力しても、なかなか人から「よく頑張ってるね」とほめてはもらえません。いずれ努力するのが嫌になって、「ステップって難しくてできません」と言い出すでしょう。この人は解熱剤を飲んでがんばって仕事している人に似ています。そのせいで風邪をぶり返し、寝込む羽目になって人に迷惑をかけ、「どうして俺こんなにがんばったのに、ほめてもらえずに責められるんだろう」と逆恨みをしているのです。
自分、他者、そして神との親密さ。これこそが性格上の欠点を取り除く本筋です。欠点だらけでも他者から受け入れられ愛されるものですし、神様はあなたがどんなに欠点だらけでも愛してくれます(だって神様はなんでもできるんでしょ、欠点があるからあなたを愛せないなんて決しておっしゃらない)、だからこそあなたは欠点だらけの自分に対して、深い深い自己肯定感を育てていけばいいのです。
そうやって気がついたときに、怠惰がちょっとだけ勤勉に変わっていたりしますよ。
「幸せは蝶のようなものである。蝶を掴もうと思えば逃げられるけれども、他のものをじっと見つめていれば、いつの間にか蝶が静かに肩の上に止まっていたことに気づくものである」
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