心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年09月18日(木) ろくなな

アクセス数が減って落ち着いてきたところで、真面目な話でもしましょうか(多いときにするとロクなことがない)。

昨日のステップミーティングがステップ6で、今日誘われて行ったミーティングがステップ7でした。

僕はAAに来て最初の6年間ぐらい、性格上の欠点は自分で直すものだと思っていました。「欠点ぐらい自分で直せる」という思い上がりもありました。でもやはりそれは<思い上がり>でした。

酒が止まらないとき、僕は酒は自分で止められると思っていました。でも、そう思っている間は酒が止まらず、AAに来て以降「自分以外の何かの力」によって飲酒へのとらわれ(obsession)から解放されました。

ステップ6では、飲酒からの解放と同じように、性格上の欠点からも解放されると期待しても良いとあります。欠点を取り除いてくれるのは神さまであって、自分ではありません。でも意固地な僕は、自分以外の存在が自分の長所短所を勝手にいじるのを良いと思いませんでした。何でも自分でコントロールしたがっていたのです。

もちろん、努力せずに、自動的に短所が取り除かれるとは思っていません。酒をやめられたのはハイヤー・パワーによるものだったとしても、自分だってそれなりの努力をしたはずです。ミーティングに通ったりとか。短所についても同じで、自分の努力も必要でしょう。

けれど、僕はもう「頑張っているのに、ちっとも欠点が減りません」などと嘆くことはしません。自分では取り除くべき欠点だと思っているものが、実は(神さまの目から見たら)生きていくのに必要な長所かもしれません。また、本当に欠点だとしても神さまが「取り除くのはまだ早い」と判断しているのかも知れません。

その人のハイヤーパワーが、その人に必要なときに、欠点を取り除くのでしょう。だから僕は誰かの欠点を憎んでみても仕方ありません。自分についても同じです。

大切なことは「欠点を抱えながら生きていく」ということに尽きると思います。欠点がなくなった自分が本当の自分だと幻想を抱いても仕方ない。いまは(たまたま)堕落しているだけだと言い訳してもしかたない。欠点の多い自分も、神さまの御意志によって今存在しているということで。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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