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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年09月15日(月) ネタがない 雑記も書くネタがないので、トラックバック がわりで。
佐藤春夫の『秋刀魚の歌』の口語訳ってのは、僕も読んだことがありません。この詩を解釈するには、まず「細君譲渡事件」について知らなければ。
谷崎潤一郎は、乳母日傘で育ったお坊ちゃんでしたが、父親の事業の失敗で貧乏になるものの、天が与えた才能で作家になり、耽美的というか破滅的な小説を書くようになります。その生活は彼の書く小説同様に派手なもので、金遣いが荒く常に借金にまみれていたといいます。
谷崎は自己主張の激しい派手な女が好みだったようで、ある芸者が好きになるのですが、彼女にはすでにパトロンがあったために、代わりにその妹(千代)を紹介され結婚します。ところが千代は姉と正反対のおとなしく貞淑な女性でした。全然タイプじゃない女と結婚してしまったことに気づいた谷崎は、千代を徹底的に邪険にします。借金取りの相手を千代にさせて、自らは放蕩な生活。せっかく娘鮎子が生まれたものの、夫婦仲は冷え込むばかりでした(でもやることはやってたのね)。
そんな頃、谷崎に師事したのが佐藤春夫でした。佐藤はすでに女優と一緒になっていたものの、著作のために東京の片田舎に引っ越し不便暮らしをしたりしたために、女優と破局。谷崎の家に出入りするうちに、不遇な千代と知り合うことになります。
その後、谷崎は千代のロリな妹が好きになり、千代が邪魔になります。ますます千代が邪険にされるようになると、佐藤の千代への同情は愛情へと変わりました。
そこで、佐藤春夫は谷崎潤一郎に対し「妻を譲れ」と迫りました。いったんはオーケーを出した谷崎でしたが、後に気が変わって返事を翻してしまいます。(人のものになると思えば悔しい気持ちはよくわかる)。
断られちゃった佐藤は、失意のあまり故郷の和歌山に帰ってしまいます。そこで発表したのが『秋刀魚の歌』です。
一人淋しくサンマを焼き、和歌山の特産品ミカンの絞り汁をかけて食べているのは佐藤春夫。東京での「いけない団らん」を思い出しているのです。
「人に捨てられんとする人妻」は谷崎に捨てられそうな妻千代。「妻にそむかれたる男」は女優に逃げられた佐藤。「愛うすき父を持ちし女の児」は谷崎夫妻の子の鮎子。それが小さい箸を使って、父でない佐藤に「サンマの腸は苦くていらないから食べてね」とあげているのです。
「世のつねならぬかの団欒」のメンバーは佐藤・千代・鮎子の3人。男の好みに合わせて千代はわざわざミカンを手に入れたりと「らぶらぶ」なわけですが、世の中からは指弾を受ける団らんには違いありません。
「あの団らんは夢じゃなかったんだよねー」と、徴兵試験に不合格だった貧弱君で陰々滅々な性格の佐藤君は、えつえつとサンマの上に涙を流すのでした。ミカンと涙のダブルソースで、サンマがしょっぱいやら酸っぱいやら。ああ、秋風よ、まだ愛していると伝えてくれよ。サンマに涙をかけて食うなんて風習はどこにもねーよ。
という詩を、わざわざ文壇に発表するのは、佐藤が谷崎に圧力をかけているわけですが、その甲斐あって、最後には谷崎も承諾せざるを得なくなります。恋の駆け引きって素敵ですね。
「このたび3人で相談した結果、千代は潤一郎と離婚して春夫と結婚することになりました。娘鮎子は母についていきます。みなさん、潤一郎・千代・春男とは、これまでどおりのおつきあいをお願いします」
と発表し「細君譲渡事件」としてスキャンダルになります。まだ姦通罪があった時代ですからね。
谷崎の『蓼喰ふ蟲』は千代と春男の密通を描いたものだと思われていましたが、実は千代の「前の男」大坪砂男との関係を書いたものでした。千代もそれほど貞淑ではなかったようです。
その後、春男と千代は夫婦仲も良く、幸せに暮らしたそうです。苦労して手に入れたものほど価値が高く感じるのが人の心か。ブログに口語訳を載せれば、ヒット数が稼げるかもね。
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