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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年07月02日(水) 幸せになる義務 「自分は幸せになっちゃいけない」と自分で自分を縛っているんじゃないですか?
という問いかけを与えられて、僕はすごく悩んでしまったのであります。
離婚という不幸な経験をしたからには、次こそは幸せな家庭を作りたい、という希望を持つのは当然のことです。たとえば、年若のそこそこデキの良い奥さんをもらって暖かい家庭を作り、それを守るために自分もこつこつ努力できる幸せ・・・というような夢を見るのが心の健康な男じゃないですか。
でも僕の場合、一度失敗した人間が、次は自分だけ晴れがましい幸せに浸ることは許されないのではないか・・・とついつい思ってしまうわけですよ。だって、その陰には残してきた元妻とか、子供たちの存在があるわけですから、「パパだけ幸せになってずるい」という恨みをもたれるのもヤダなぁと思いがちなんです。
それがイヤなら別れなければいいわけで、別れたあとにそんなことを考えるのが変です。
ここで逆のパターンを考えてみます。後ろめたさから「またまた」ダメな人を選んでしまって不幸になり、不毛な家庭に自分も投げやりになってしまって、挙げ句に3年か5年ぐらいで耐えきれずにまたまた離婚なんて事になったら、その時こそ僕は心身共にぼろぼろです。そんな父親の姿を見たら、娘たちはいったい何を思うでしょう。きっと「私たちいったい何のために不幸になったの?」と言うでしょう。
自分たちを見捨てて幸せになった父親を恨めるのならまだいいでしょう。けれど、その父親が不幸になっていたら、もう誰を、何を恨んでいいのかわからない、やりきれない気持ちになってしまうでしょう。さすがにそれは、あまりに可哀想です。だから僕には幸せを目指す義務があります。てゆーか、人間誰しも自分の幸せを目指さなくてはならないものでしょう。
僕の気のせいかも知れませんが、AAのなかは「アル中になって散々人様に迷惑をかけた俺たちは、人並みの幸せをつかんじゃいけないんだ」みたいな雰囲気がはびこっている気がします。でもそれは病理ですね。家庭とか子供とか仕事とか、そういう社会的なことのなかで役割を果たし、そこに幸せを見つけるのが回復の目標です。AAとか12ステップは、そこに至るための「手段」ですから、手段が生きる目的になったのでは本末転倒です。
「ひいらぎは独身になったのだから、AAのために尽くさなくちゃ」などと言われましたが、AAのサービス活動に再度のめり込むつもりなんてありません。AAのために尽くす最善の手段は何かと言えば、12のステップという道具をつたないながらも使い、それで自分が幸せになってみせることです。そして「なるほどAAにはアル中を幸せに導く力があるのか」と人に納得させることです。なにぶん、持っていないものを手渡すことはできないのですから。
幸せ目指して頑張るぞ〜!
・・・と言いながらも、ひいらぎの病理はすぐにぶり返すんですけどね。困ったもんだ。
(夜遅くまで電話やら話やら、付き合って頂いてありがとうございます)
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