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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年03月25日(火) おのれはおのれ、人は人 アルコール含有の食べ物で酔ってしまったために、ソブラエティをリセットした人がいました。ご本人の話では「間違いで食べたのではなく、アルコールが入っているのが分かっていて、食べたいと思って食べた」ので、スリップ(再飲酒)としたのだそうです。ちょっとストイック過ぎると考える人もいるでしょうが、本人が納得しているのなら、それはそれだと思います。
一方、出された缶ビールを一本飲んじゃったものの「間違いだったから」とスリップ扱いにしなかった人も知っています。その後無事に飲まない生活が続いてるのですから、とやかく言うことではないように思います。
粕漬けを食べる人もいれば、食べない人もいます。栄養ドリンクを飲む人もいれば、絶対ダメだという人もいます。魚の照り焼きには調理酒を使う人、みりんを使う人、ともかくアルコールは使わない人。おでんの汁にお酒を使う人、使わない人。
そういうことは「人それぞれ」としか言いようがありません。
問題はアルコールに限りません。
毎晩必要以上の薬を飲んで「気持ちよく」なっていても、酒さえ飲んでいなければソブラエティと呼べるのかどうか。ある人々に言わせれば、AAはアルコールの問題だけを扱うのだから、薬の問題は対象外なのだそうです。一方、じゃあ毎晩覚醒剤を打っていても、酒さえ飲んでいなければソブラエティなのかよ、と疑問を投げかける人もいます。
僕としては、そこで「酔いを求めているのかどうか」「気持ちよくなろうとしているのかどうか」を一つの基準にしたいのですが、これも僕の意見に過ぎません。
結局のところ、自分の物質的ソブラエティ(アブスティネンス)の基準をどこに置くかは、その人が決めるしかないと思います。AAとして、これはいいけど、これはダメという統一見解など出しようがありません。
大切なことは、人の基準を自分に当てはめようとしないことです。栄養ドリンクを飲んでも何も起こらない人もいれば、50mlのドリンク一本で飲酒欲求(渇望)のトリガーがかかってしまう人もいるのです。人の基準を自分に当てはめた結果、自分の守るべき一線が破れて酔っぱらってしまったとしても、それは人が悪いのじゃなく、自分の責任です。
もう一つ大切なことは、自分の基準をみんなに認めてもらおうとしないことです。人それぞれであるからには、中にはあなたの基準を批判する人も出てくるでしょう。その時に無理に相手を納得させようとしたり、逆に引け目に感じて押し黙ってしまうのは、結局自分が苦しくなってしまうことにしかなりません。
耳を傾ければさまざまな意見があることが分かります。時には自分の基準を修正することもあるでしょう。けれど「彼は彼なり、我は我なり」といういう基本を忘れないことです。
そもそも、僕らは毎日感情的にスリップを重ねていることもお忘れ無く。
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