心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年03月04日(火) 問題なのは

「問題は酒を止めてからの期間の長さよりも、次の一杯を飲むまでの期間の短さである」

眼精疲労で頭がガンガン痛かったのですが、思うところがあって普段行かないミーティングへ行きました。ビッグブックの箇所はステップ3のところでした。

僕は飲んでいた頃、「自分の意志で突っ走ろう」という人生でもなかったと思っていたし、ましてや自分が「神のように振る舞う役者さん」だとは思ってもいませんでした。「自分で何もかも取り仕切っていれば、申し分のない満足と幸福とがつかみ取れる」とも思っていないつもりでした。

どちらかと言えば、いつも周りの目を気にして、どう思われるか、どう評価されるかばかり気にしていました。「こんなことをしたらどう思われるか」という恐れが行動を規制していました。だから自分はエゴイストなどではなく、状況の哀れな犠牲者だと思っていました。

けれど、相手にどう思われるか気にし、自分の振る舞いによって評価を上向かせ、相手が自分に接する態度を変えよう・・というのは、自分の行動を変えることで相手の気持ちを支配しようとしていることです。僕は怒りや攻撃によって相手を変えようとするタイプではなかったものの、もっと受動的にであれ相手を(自分を取り巻く世界を)自分の思い通りに変えようとしていたのでした。

つまり僕も、「自分の意思で突っ走る取り仕切りたがり屋」で「神の役を演じる役者さん」だったのです。そして、そんなことはうまくいくはずがなく、酒におぼれる原因のひとつでもありました。

そんな苦しい生き方はやめたいと思っても、自分の力でやめられたなら、AAにたどり着くほど道に迷うことはなかったのです。道徳心や自己規制などというものは僕の役には立たず、自分が神さまを演じる代わりに、自分の主(あるじ)である存在が必要なのでした。

AAの仲間のバースディミーティングに、僕はプレゼントを持って行く場合もあれば、手ぶらの場合もあります。以前は「ある人にはプレゼントをして、別の人にはしなければ、いったいその人に何と思われるだろうか」なんて真剣に心配していました。だからしたくもないプレゼントをするために悩んだりしていたのです。まさに、bondage of self(自我の束縛)でした。(セルフ・ボンデージというと違う意味だな)。自分を苦しめているのは自分でした。

僕は酒をやめようと言うメンバーに対して平等な敬愛を持っている(つもり)ですが、その上で、僕も弱くて愚かな人ですから当然人間に対しても「好き嫌い」があって当たり前です。なんであの女性のバースディには花束を持って行くんですか、などと聞かれても、そんなの言葉で説明しなくても分かるだろうに、ということです。

なんか久しぶりにミーティングで言いたいことを腹蔵なくしゃべれた気がします。僕は話は下手なので、聞きやすい話ではなかったとは思いますけど。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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