心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年01月30日(水) 愛に時間を

というタイトルのハインラインの小説がありました。

愛って何だろう? という疑問の答えは持っていませんが、愛に時間は必要だろうと思います。インスタントな愛ってのはないでしょう。

愛があって一緒にいられれば最高なんでしょうけれど、恋人同士でも家族でもいつも一緒というわけにはいきません。自分の生活を放り出して、恋人との電話に熱中するのが愛だというなら、確かにそうでしょう。でもそれなら、おとうさんが満員電車に揺られて毎日同じ職場へ行くのも、おかあさんがまた汚れる皿や洗濯物を洗い、また汚れる部屋を掃除するのも愛なのでありましょう。だってそのぶん自分の時間を使っているのですから。
自分の時間を相手に分け与えるのが愛なのかもしれません。

「今忙しいから後で」と言われて、ずっとほったらかしにされると「愛されていないのかな」と不安になったりします。あなたの24時間のなかから、ちょっとだけ僕に割いてください・・て感じです。

殺人を犯した少年に、被害者の遺族が多額の損害賠償をしたとき、その意味をこんなふうに説明した人がいました。殺された人の人生の時間は永遠に失われ、殺した少年といえどもそれを「返す」ことはできません。また、少年は永遠に少年院の中に入っているわけではありません。けれど少年は少しずつお金を遺族に渡していくのを長く続けていくしょう。お金を稼ぐには時間が必要です。お金を渡す少年の行為は、自分の人生の一部を切り取って、遺族に渡していることにつながるのです、と。
なんだか「強制された愛」という言葉が浮かんでしまいますが・・・。

AAミーティングに顔を出すのも仲間に対する愛だろうし、スポンシーの電話を受けるのも愛でしょう。愛は時間を要求するのですから。

というわけで、「ステップ4の表なんて3つに分けなくても、ひとつにすればいいじゃん」という理屈をこねまわして、仲間との電話を1時間以上引き伸ばしてしまいました。いやー、愛されているんですね、僕って。え? 愛の強制だって?

やっぱり表は3つ要るんでしょう。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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