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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年12月18日(火) 共依存に関して 妻が駅ビル商店街の抽選で当てた家電製品は3択式で、イオン式ドライヤー、フット・バス、iPod shuffleから選ぶようになっています。僕としては、iPod を金を出して買うことは一生ないと思うので、ぜひ iPod にしたいと提案しています。
白樺湖から先は圧雪路でした。今期初めての雪道なので、おっかなびっくりの運転でした。スキー場はもうナイター営業中です。帰り道、「滑るから気をつけてくださいね」と言われたのですが、標高の低いところは温度が高いし、道も白くないと思って油断していました。
トンネルから出た北斜面がすっかり凍っていて、あっと思った瞬間にはもう車が回り出していました。とっさにカウンターが当てられませんでしたが、幸いブレーキが効いてくれました。ABS付きでなかったら、ガードレールまで行っていたでしょう。
しかし最大の難関は、その次の峠で立ち往生したトラックがいくつも路上に放置されて、通行を妨害していたことでした。
さて、アルコホリズムを、肉体の病気と精神の病気に分けて考えるAAのやり方を、共依存というテーマに当てはめてみましょう。「医師の意見」の病気を表現したくだりに、
「飲んでいないときのアルコホーリクは、落ち着きがなく、いらいらが強く、不機嫌であって、飲んでいっぺんにふっと楽になる感覚を再び体験せずにはいられない」
というのがありますが、これを
「共依存関係にハマっていない時の共依存者は、落ち着きがなく、いらいらが強く、不機嫌であって、再び共依存の関係にハマることで、ふっと楽になる感覚を再び体験せずにはいられない」
と言い換えてみましょう。
「そこで、多くの共依存者は欲求に負けて共依存関係を再開する。すると、より深い共依存関係への渇望現象につかまる。そこでお決まりの段階が始まり、関わりすぎては、後悔に襲われ、もう絶対に関わらないと固い決心をするという悪循環が、何度も何度も繰り返される。心理現象のような霊的変化が全面的に起こらなければ、その人には回復の希望はほとんどない。」
ちょっと関わっただけなのに、より深い共依存関係へと進もうとする「渇望現象」が起きてしまうのは、最初の一杯に手をつけたアルコホーリクが次の酒を求めるのと同じ肉体の病気です。その渇望は具体的には脳の中で起きています。
一方、理性が働いているはずのしらふのアルコホーリクが、なぜか最初の一杯に手をつけてしまうのと同じように、何度も繰り返した悪循環への一歩を踏み出してしまうのも「精神の狂気」です。
その処方箋は「心理現象のような霊的変化」です。
過食拒食、買い物、共依存というような、ゼロにするわけにはいかない依存の場合、abstinence の境界線をどこに引くのかは難しいことですが、一度始めてしまうと起こる「渇望現象」と、やめていたはずなのにまた始めてしまう「精神の狂気」に分けて考えれば、おのずと境界線が見えてくる・・・と思うのです。
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