心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年12月07日(金) 10 years ago (17) 〜 手遅れだと言われても、口笛...

10 years ago (17) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃

新年早々、妻の職場の親睦会でボウリング大会がありました。夫婦での参加が前提であります。酒の飲み過ぎで唇が紫色になっているような状態で、ボウリングができるものか・・・不思議なもので、それが優勝してしまうのでした。
優勝賞品は、誰のアイデアなのか、缶ビール2ダース入りの箱でした。家に着くと同時に、妻はその箱をどこかに捨てにいってしまったので、僕の口には入りませんでしたが。

一月中旬ぐらいから、僕は会社に行くのを止めてしまいました。無断欠勤でした。そもそも妻の出勤時間の方が30分ほど早かったのです。妻が、「今日は仕事に行くんだよ。もし休むんだったら会社にちゃんと電話して」ときつく言い残して出かけていくのですが、妻の車が出ると同時に、僕はアパートのどこかに隠しておいた酒を取り出して飲み始め、そのまま布団に潜り込んでしまうのが常でした。
9時になると、今日も出てこないからと職場から電話がかかってきますが、それには出ません。すると昼休みに、上司が妻の職場に電話をかけまして、「今日も出てこない」と言われた妻が、僕に電話をかけてくる・・・。一日に何度も電話が鳴るのですが、僕はそれを完全に無視して飲み続けるばかり、という日々でした。

不思議と飲酒運転はしませんでした。直近の酒屋は、歩いて片道30分ほどのコンビニでした。さすがに面倒なので、妻に「酒を買ってきてくれ」「車に乗っけていってくれ」と頼んだりしましたが、むろん完全に無視されました。真冬の夜中2時、3時に、歩きながら星座を見上げ、酒をラッパ飲みし、そして「ああ俺は何でこんな生活をしているんだろう」と思うのですが、その生活からの出口がまったく見つかりませんでした。

あんまり会社がうるさいので、精神科医に「一ヶ月の休養を要する」という診断書を書いてもらい、こいつはもうダメだと見放されて、プロジェクトから外されました。その仕事は同僚に回りました。結婚だ病気だと理由をつけて、散々遅らせた仕事を押しつけたのですから、すんげぇ迷惑な話であります。

だがそんな状況でありながら、当時秋葉原でも品薄で入手困難だった機材を手に入れ、ISDN回線を引いてインターネット接続業者と契約までしている・・・よくまあ、そんなことだけはできたんだねぇ、と自分でも感心するのですが、話を戻します。

そんな生活を一ヶ月も続けると、さすがに妻も体調を崩し始め、昼間僕が酒を飲んで寝ている布団の隣で寝ているようになりました。結婚前に実家にいた数年間は、僕が飲んでいようといまいと、母が家事を続けていましたから、僕は家の中のことなど心配せず、ある意味安心して酒を飲み続けることができました。
しかし、結婚して二人になり、(どうみても僕のせいで)妻が倒れてしまうと、とたんに家の中のことが回らなくなってしまいました。

ようやくそこに至って、僕は「この生活をいつまでも続けることはできないんだ」という、当たり前の事実を認識したのでした。自分で酒を切れない以上、入院しかありません。いずれにしせよ、一ヶ月の診断書の期限は切れています。というわけで、妻と一緒に精神科医の診察を受けに行きました。

(そのうち続く)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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