心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年11月01日(木) また仕事に救われる

6時間はぐっすり寝たはずですが、7時半に目が覚めたものの、そのまま10時半まで起きられずにいました。死んでしまった人のことよりも、生きている人間のドタバタのほうが、どうにも心に引っかかっていけません。

よっぽど仕事を休みたいと思いました・・が、客先に行ってデバッグするという約束があったので、仕事に出ないわけにはいきません。11時半に出社し、車に機材を積んで出かけたものの、どうにも集中力がありません。抑うつ状態というやつです。

この車で自宅へ帰って、布団で寝たいと心底思いましたが、おそらくそうして寝ていても、いろいろな事がぐるぐる頭の中を回るだけで心が安まらないでしょう。そうこうするうちに、車は客先の工場に着いてしまいました。

僕のやっている仕事は(野球で言えば)エースピッチャーや四番バッターの仕事ではありません。どちらかと言えば、守備固め要員、ピンチランナー、バント職人みたいなもんであります。取引量の多い客によっては、わがままで無理っぽい注文を出してくるところもあります。主要メンバーが本来の仕事に集中できるよう、嫌な注文を片づけるのが僕の仕事です。

手渡された防塵着に着替え、エアシャワーを何度かくぐって、工場の奥へ奥へと潜っていきました。騒音の中で、持参したノートパソコンを開いてデバッグを始めると、不思議と気持ちがプログラムに集中されるのがわかりました。絡まったスパゲティーを解きほぐすように、ひとつひとつの問題を解決していく、この過程が一番好きです。

3時間後にそこを退出する頃には、昼まで僕の頭を支配していた様々なことは、僕の頭の中で本来あるべきサイズまで縮んでくれたようです。「今回は仕事に救われたな」とつくづく思います。

出社があまりに遅かったので、夜9時まで働いても1時間の残業にしかなりません。まだ働いている人もいましたが、僕は携帯電話で話ながら職場を出て、AAミーティングに出ていた仲間と落ち合って一緒に食事をしてから帰りました。僕はいろんなものに恵まれています。

そんなわけで、日本シリーズは全く見ていませんでしたが、帰ってニュースを見て「やっぱり落合ってすげえ」と思いました。やはり勝つために全力の野球が素晴らしい。

1996年のオールスターゲーム、すでに点差が大きく開いていたため、全パの監督仰木は9回裏ツーアウトの打者松井秀喜に対して、投手としてイチローを登板させました。これは仰木の遊び心だったのでしょう。しかし、これを勝負に対する侮辱と受け取った全セの監督野村は、高津臣吾を代打に送りました。これで高津がヒットを打っていたら人々に名勝負と記憶されたかも知れません。が、結果はショートゴロ。

もちろん、松井がイチローからホームランを打っても、イチローが松井を三振に取っても、どちらも名勝負にはなり得ないわけです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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