心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年08月14日(火) 終戦記念日に思う

例年(かな)8月のこの頃には、戦争について、あるいは戦争を生み出す経済についての文章を載せています。そういう意味ではちょっとばかり政治色を帯びます。

東西冷戦の結果、ひとつの国が二つに分断されていた(いる)ケースはいくつもあります。

有名なところでは、西ドイツ・東ドイツです。
国家分断後、共産国家となった東ドイツの計画経済はすっかり失敗し、貧しくなった国民は、国境を越えて西ドイツへと逃げ出していきました。そのせいで東ドイツの人口はどんどん減り、ますます経済が苦しくなったため、国民が脱出できないように国境を封鎖しました。有名なベルリンの壁も、国境封鎖のひとつです。

30年後、東ヨーロッパが民主化でざわざわしている頃、ハンガリー政府が民主勢力に押されて隣国オーストリアとの国境を開放します。ハンガリーと東ドイツって、ずいぶん離れている気もするんですが、東ドイツ→(チェコ・ポーランド)→ハンガリー→オーストリア→西ドイツという亡命回廊を通って、人々はぞろぞろと豊かな方へと逃げ出していきました。
時のホーネッカー政権にそれを止める力は既になく、翌年行われた自由選挙で民主勢力が圧勝、西ドイツへの併合が決まります。

南北イエメンの場合には、ソ連崩壊によって経済支援を失った南イエメンの経済が行き詰まり、これも豊かなほうである北イエメンに吸収されるかたちで決着していました。

南北ベトナムの場合には、戦争で決着がつきました。
あと残っているのは、二つの中国と、朝鮮半島です。

戦争で決着した例を除けば、豊かな方が貧しい方を併合しています。平和的手段で決着するとすれば、朝鮮半島の行方もだいたい見えていることになります。

ハンガリー・オーストリアが国境を東ドイツ国民に解放したように、北朝鮮→某国→韓国という亡命ルートが確立されれば、比較的短期間に事態は収拾するのではないでしょうか。もっとも、多くの東ドイツ国民が合法的に東側諸国(ハンガリー含む)に行けたのと違い、北朝鮮からは友好国である中国・ロシアに脱出するのもままならない状況ですから、まずそれが変わる必要があります。
隣接国が国境を開放して、難民の通過を許したとしても、それほど大きなコストは要らないはずですが、話はそう簡単には進みません。

ドイツの場合でも、ドイツが二つに分断されたままの方が都合がよい人々がいたのです。西ドイツは、疲弊した東ドイツ経済を吸収したがために、10年以上低迷しました。しかし、それを乗り越えた後の統一ドイツは、EUの中で大きな発言力を持つ国となりました。

ドイツより国家規模の小さい韓国が、統合による経済の停滞を脱するには10年では足りないでしょう。しかしそれを乗り越えた暁には、現在の北朝鮮や韓国と比較してずいぶん強力な国家が朝鮮半島に誕生することになります。そして、周囲の国々は、その国家の誕生を望んでいないということではないでしょうか。

歴史を通して、常に大陸側からは中国・ロシア、海洋側からは日本・アメリカによって、翻弄され続けてきたのがこの半島の悲劇だと言われています。あらためて「地政学」という言葉を思い出したりしています。日本も中国の東側になければ、ずいぶん歴史も違っていたでしょうね(当たり前か)。

15〜17日まで帰省してきます。一応ノートパソコンとPHSカードは持って行きますが、なにせPHSの基地局から1,200mも離れているので、更新もままならないかも知れません。アイ・ウィッシュ・ユー・ア・ハッピー・ウラバンナであります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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