ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ|過去へ|未来へ
2007年06月08日(金) スポンサーシップ 一見さんお断りという店が本当にあるのかどうか知りません。京都あたりにはあるんでしょうか。
もしそんな店があれば、最初は誰かに連れて行ってもらわなければ、店に入れないわけです。この時、連れて行ってくれる人を sponser と言います。ロータリークラブの会員になるには、会員の推薦をもらわないといけないのに似てます。しかし、AAのスポンサーは、そういう結社的な仕組みとは違います。
AAが始まったばかりの頃のアメリカでは、精神病院の入院には必ず保証人が必要でした。なので、AAメンバーは新しく来た人が入院するために、その保証人(sponser)となりました。スポンサーは病院に見舞いに行き、退院したらミーティングに連れて行き、他のメンバーに紹介したり、助言したりしました。入院費を立て替えたりしたこともあったのでしょう。
時代が下るとAAスポンサーは「霊的なプログラムの助言者」という役割に純化されてきました。スポンサーシップを受ける側の人を、スポンシーと言います。
ある人が「AAには〜ねばならない〜は無いが、スポンサーの言うことは絶対だ」と言っていました。絶対なんて言う言葉を簡単に使って良いかどうかは知りませんが、まあスポンサーの言うことは絶対ですね。スポンシーというのは「やれと言ったことはやらないが、やるなと言ったことは必ずやる」ものなので、絶対と言うぐらいでちょうど良いと思います。
じゃあ、スポンサーが間違った助言や提案をしたらどうするの? という疑問を持たれるかも知れません。間違ったらしょうがないですね。確かに、スポンサーの言うことは正しいに越したことはありません。が、「正しいに越したことはない」というレベルです。だからその疑問の真意は、正しいかも分からない、そんな不確かな言葉に従うことに、いったい何の意味があるのかということですね。
今まで自分の考えで生きてきて、あげく精神病院に入って(入らなくても)AAにやってきてしまったわけです。今後も同じ方針で、つまり自分の考えで生きていけば、同じ結果が待っているだけです。だから、Higher Powerとか神さまとかに考えてもらって、それに従って生きて行きなさいよ、ということであります。
ところが、神さまは望んだ答えはくれないものです。というか、神さまが狂ったアル中の望む答えをくれるようなら、かえって怖いです。アル中さんは常に自分の考えがお気に入りで、やがて酒に戻っていきます。
一生懸命「自分の理解した神」に従おうとしている人でさえ、神の意志を知ることは容易ではありません。反抗的なアル中さんであればなおのことです。反抗して飲んで死ぬのも本人の勝手かもしれませんが、それでは周りが困ります。
AAスポンサーってのは神さまほど上等じゃないかも知れませんが、ともかくその考えに従うのです。助言が気に入ろうが気に入るまいが、意味が分かろうが分かるまいが、そんなことは二の次、三の次で、ともかく「自分の考えよりも、もっと正気な考えがある」という真実が身に染みるまでは、理不尽だろうが仕方ないことです。自力じゃなかなかステップ2・3と進めないのです。
とは言うものの、スポンシーは反抗的で言うこと聞かないもので、それがまた昔の自分を(=今の自分を)映す鏡になるので、ついついイジメたくなっちゃう時もあるでしょうね。かといって人の良いスポンサーが優秀とは限りません。
どうしても気に入らなければ別のスポンサーに変えればいいだけの話ですが、探すのは「まともな人」ではなくて「自分の理解した神」であることを忘れないでください。
もくじ|過去へ|未来へ