ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年05月16日(水) 必要とされること 人間の幸せの中には「必要とされること」が含まれていると思います。
公園の段ボールハウスにビニールシートをかけて寝ている人だとか、精神病院にずっと入院している人だとか、あるいは犯罪常習で刑務所にいる人だとか、そういう人は社会のエゴイスティックな都合によって、お互いにお互いを必要とするネットワークから締め出されているわけです。この場合の「社会」には、僕自身も、そしてこれを読んでいるあなたも含まれます。
家族の外(つまり世間)で成し遂げた功績は認めてもらいやすいものです。一方、家族の中の功績は、なかなか認めてもらえないものです。特に家事は減点法評価の対象になりやすく、ちゃんと行われているのが当たり前で、ちょっと不都合があるとぶーぶー文句を言われることになります。皿はまた汚すために洗うのです。洗濯するのもまた服を汚すため。掃除するのもまた部屋を汚すためです。きりがありません。
ただ、それは金を稼いでくる役割も同じで、使うために稼いでくるわけで、使う金が減るととたんにぶーぶー言われることになります。
いずれにせよ、誰かの必要を満たす作業は、完成することのない、終わらない作業です。
同じ考えは、職場やサークル(AAを含む)にも拡張できます。
時には、必要とされることに嫌気がさし、逃げ出したくなることもあります。それでも、今自分がいる場所が、世界中でもっとも自分が必要とされる場所であろうと思ってもいます。たいていそうなんじゃないでしょうか。
もちろん、僕のやっている役割は、他の人間でも代替可能です。でも、人間はボールペンの芯を替えるみたいに、簡単には交換できません。それが幸いして、今この場所にとどまれています。将来、必要とされることのポテンシャルが変われば、僕は他の場所に移ってしまうのかも知れません。
AAのスローガンに「私たちには、私たちを必要とする人が必要だ」というのがありますが、それは何もAAには限らないと思います。
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