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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年03月23日(金) 安からんこと、なんじが心の家路 純アルコールの消費量を計算してグラフにしてみました。
携帯電話からアクセスの方は、画像が見えないかもしれません。ごめんなさい。
これは国税庁の年表に、酒類別の消費量の統計があったので、それに酒類別の標準アルコール度数(これも年表から)を乗じて求めてみたものです。古いところは消費量の統計が無くて代わりに移動量(課税対象)を使ったり、標準度数がない酒類があったり、酒類の区分変更があったり・・・と、正確とは言えないグラフですが、およその傾向はつかめるでしょう。
終戦直後に年5万キロリットルだった消費量が、近年は100万キロリットルを越えています。この間ほぼ毎年増え続けて実に20倍以上です。これほど右肩上がりが顕著な統計グラフも珍しいと思います。
戦前についてはデータがありません。増収増税策として醸造用アルコールを添加する政策がとられる以前は、清酒は高級嗜好品であり、一般にはどぶろくを家庭で作って飲んでいた・・つまり統計のとりようがありません(以降自家醸造は禁止となり、結構重罪です)。
僕は父と40才近く年が離れています。僕の生きる時代と比べ、父が僕と同じ年齢を生きた40年前は、はるかにアルコールの消費量が少なく、まだまだ酒は高級嗜好品であっただろうと思われます。だから、依存症になれる遺伝子と、なりやすい環境が揃っていたとしても、なりたくてもなれなかった人は多かったに違いありません。
現在でこそ「親がアル中」という人は珍しくなくなりましたが、ちょっと前までは「親がアル中」という家は酒に耽溺できるだけ生活の余裕がある=結構いいおうちの出、だったのです。三代アル中ならよほどの資産家?
そうした時代に、資産家でもないのに毎日飲んだくれていたら、風当たりは今よりずっと激しかったのかも知れません。
1990年代に消費量が急激に伸びているのは、酒類販売の自由化や、ウィスキーの値下げの影響かと思います。戦後一貫して消費量が伸びてきたのは、酒税を増収する国策のおかげです。結果としてアルコール依存症の患者も増えたわけですが、それに対する国の施策は増収に見合ったものとは思えません(おお政治的意見)。
どぶろくが自家醸造できると言っても、かなり面倒な手順が必要です。酔っぱらえればいいアル中のためには、もっと簡単な方法がある・・と、とある人から教えてもらったことがあります。
その手順とは:まず一升瓶を良く洗う。中に水を入れ、蜂蜜を溶かす。パン発酵用のイースト菌をスーパーで買ってきて混ぜ、瓶を密閉しないで暖かいところに置く・・。
僕は試したことがないので、これで本当にエチルアルコールができるか知りません。もしあなたが試してみて、その結果病院に運ばれることになっても、それはあなたの自己責任ということでお願いします。
人生には終わりがあります。もしアル中が飲まずに死んだのなら、飲まないアルコホリック業界の人間としては、目的達成に拍手を送りたいです。もし飲んだまま死が訪れたとしても、ともかくその人の苦しみに終わりが来たことを良しとしたいです。
飲まない一日に感謝できないアル中は、その他の人生の贈り物にも感謝できない。「今日一日の感謝」が僕のテーマです。その人の心の家路の安からんことを祈ります。
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