心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年12月13日(水) 頑張れをムチだと感じる心理

さわやかに目覚めて、なぜこんなに目覚めがさわやかなんだろうと疑問に思いながら時計を見ると、すでに10時でありました。目覚ましはしっかり止めてありました。とほほ。
あわてて職場に連絡を入れました。言い訳を考えても仕方ないので、「寝坊しました」と言っておきました。けれど公式な記録は「体調不良で遅刻」にしなければならないのは、会社の事情です。

さて、「頑張れ」というのは手っ取り早い励ましの言葉です。でも、世の中には「頑張れ」という言葉で励まされるのが嫌いな人が多いです。かくいう僕ものその一人であります。

頑張れと言われるシチュエーションは、人に後れを取っているときが多いです。たとえば、「たいへんよくできました」が一番なら、二番は「よくできました」。そして三番目が「もっとがんばりましょう」です。クラス全員のマラソンなんかでも、人より遅れていると、後ろのほうから先生が自転車で走ってきて「がんばれ」と言うわけです。

でも、たいていその時は後れを取っていることは自分が一番分かっているものです。アクセルを床まで踏みつけるようにして頑張り続けているのに、「これ以上どう頑張ればいいというのか」という反発心も生まれれば、「頑張っていることが認めてもらえてない」という自信喪失にもなったりします。もう頑張れないほど疲れ果てているのに、励まされるのは辛いものです。

励ましを受け止めることが出来るのは、心の中に予備のエネルギーが残っているときですね。例えて言えばオートバイのリザーブタンクのように、ガソリンがなくなったように思えても、実は別に少し残してあるのであります。

ところが、最初からリザーブタンクの中身まで使い切っちゃう勢いで頑張っていると、励まされるころには予備のエネルギーがありません。実際そこまで頑張ってなくても、「いつもリザーブタンクが空になるまで努力を続けないとならない」という強迫観念を持っていて、努力しない自分を後ろめたく思っていれば同じことです。

確かに「頑張れ」という言葉が無神経に使われて人を傷つけている場合もあります。けれど、励ましは「歩くのがしんどそうな人につえを貸してあげること」です。つえを差し出されているのに、なぜかそれが「言葉のムチで打たれている」ように感じられてしまう。
それは自分の問題です。

自分の側の問題であるのに、それを「人間関係の悩み」という言葉にすり替えてしまうから、本質が見えなくなってしまう。「あの人は嫌いだ」と言って、優しい別の人を探す。だから解決しない。
そんなふうに考えています。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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