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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年10月27日(金) してもらうこと 神さま、私にお与え下さい。
自分に変えられないものを、受け入れる落ち着きを。
変えられるものは、変えていく勇気を。
そして、ふたつのものを見分ける賢さを。
AAのミーティングでは定番とも言える「平安の祈り」です。
こうして、「受け入れる落ち着き」と「変えていく勇気」、そのどっちを使えばいいか「見分ける賢さ」を身につけることが必要なんだと、いつも思い起こさせる効果を感じます。
この三つのものの価値を認めるので、それを身につけたいと努力するわけです。
それは「性格上の欠点」を取り除いていく作業なんでしょう。
結構時間が経ってから、我が身を振り返ってみると、結構変わっている部分もあって、良かったと思わせてはくれるんです。でも、全然変わっていない部分のほうが、ず〜っと多くて、ああ俺って全然回復していないという現実を、目の当たりにしてしまうわけです。
「バケツの水を、耳かきで掻き出すがごとし」
とスポンサーは教えてくれました。
まさにバケツ+耳かきの組み合わせのように、性格的欠点が目に見えて減ることすらなさそうな気がしてきます。
そういう時こそ、この祈りが3行ではなく、4行あることを思い出しなさいということです。
価値ある三つのものを与えてくれるのは、自分ではなくハイヤー・パワーなんだと。
努力すれば欠点が減って当然だと考えるのは、無力とはほど遠いわけです。努力したって減らないんだから、するだけ無駄だと思うのも同様。
努力すれば、神さまは性格的欠点を取り除いてくれるし、三つの価値あるものも与えてくれると「信じる」ことがステップ2。
いつどのように取り除いてくれるかは、神さままかせで自分が心配することじゃないよってのが、ステップ3。
もちろん、何もしないで勝手に良くなったりしないのは、依存症も性格的欠点も同じです。いったん良くなっても、ぶり返すところも同じかな。
努力と成果は比例しないのは、労働とか収入とよく似ています。でも、比例しないから働く意味がないってわけじゃないでしょ。
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