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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年10月14日(土) 鳴らない電話 隣県でAAのラウンドアップが行われている関係で、ホームグループのミーティングは留守番組だけになりました。といっても、このグループでは、ラウンドアップに行かない人のほうが多いので、あまりいつもの週末と変わりませんでしたが。
なにも自助グループに限らず、人の集まるところ、個人の力を越えた「パワー」が存在しうるという考えには、うなずけるものがあります。
だから、AAだ断酒会だという枠に囚われなくてもいいではないか、と言われれば確かにそうです。
断酒会でもAAでも、行ったことのある人は、そこに何らかの「型」があることを感じたのではありませんか?
断酒会は断酒道とか言っちゃってるし、AAはステップだとかうるさいし。そういう「型」を、うざったく、堅苦しく感じたとしても不思議ではないです。
形に囚われずに、もっと自由にやればいいのに、なんか嫌だなぁというのが、フツーの人の感じ方だと思います。
でも、本当にそう感じているんだったら、自分なりの考えで、自分なりのスタイルで始めてみればいいんですよ。気楽に。実際そうする人もいます。
市の公民館の一室を借りて、AAミーティングを始めた話は別に書きました。そこの公民館を使っているサークルは多かったので、定期的に部屋を確保するには会議に出なくちゃなりませんでした。
多くは趣味のサークルです。お茶やお花、料理、楽器、書道、手話・・・。その多くは、役に立ったり、楽しかったりするもんなんでしょう。参加者には。
ところが、その会議に出続けていると、参加してくるサークルがだんだん入れ替わっていく様子がわかります。
同じ曜日に公民館を使っているサークルもたくさんありました。でも、10年経って、いまだに同じペースで続けているのは、隣の部屋の日本語教室ぐらいでしょうか。
もちろん僕の目にしないところで続いているものもたくさんあるかもしれず、断続的に続いているところを加えればもっと増えるでしょうが。
何が言いたいかというと、楽しい趣味のサークルであっても、なかなか長続きはしないと感じるのです。ましてや、自助グループってのは漢方薬みたいに、ゆっくりと作用するもんでのですから。
ところが病気は一生ものです。だから、例え個人の力が弱まっても、続いていってくれないと困ります。永続性を確保するには「何か」が必要なんだと思います。
その「何か」がなんなのか、簡単には説明しきれないんですが、堅苦しく感じさせる「型」ができる過程で、その「何か」を獲得していったのではないかと。
そういや、ACのグループもやってるんですよね。
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