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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年09月18日(月) 断酒会 病院内での「断酒会」ってものには結構な回数出席しましたが、まああれは病院のプログラムにすぎません。
地域の中でやっている断酒会に出席した回数は5回ほどでしょうか。
地元でAAミーティングを始めるときに、近隣の断酒会に挨拶回りに行きました。3会場だったかな。それから入院中の知り合いに会いに2〜3回、別の会場に行ったこともあります。
男の本人ばかりでしんみりとやっている断酒会もあれば、ほとんどが夫婦者で、奥さんたちがお茶を入れてくれたり漬け物を出してくれたりというところもありました。
AAを始めるんですよと言えば、「そうかお互いにがんばって発展しよう」と励ましてくれるところもありましたし、敵意むき出しってところもありました。まあ、一昔前の話ですから。
おじ(い)さんたちばかりで、女性の本人は少なかったです。まだアメシストの会は存在していませんでした。
人々の話の内容はまったく覚えていませんが、「体験談に始まり体験談に終わる」と言われるとおり、体験談に終始しているという印象だけは残っています。
たぶん毎回同じ話をしているんだろうと思ったりもしました。でも、当時僕が通っていたAAは人数が少なくて一人20〜30分は話したので、人の話を聞いていれば「ああ、またあの話か」「今度はこの話か」と思いながら聞いていたぐらいなので気になりませんでした。
親への恨みを1年間話し続けたというAAメンバーがいましたが、同じ話を1年間続ければ、恨みも何かに昇華してしまうのかもしれません。自分を苦しめている感情とそこまで徹底して向き合っていれば回復もするだろうと思います。ここでも「中途半端は何の役にも立たない」ってことでしょうか。
まあ、どこにでも従順なふりをする人はいるもので、自分を変えたくないのだけど、疎外されるのも嫌なので、とりあえず人と同じ言葉を話している人もいるわけです。それはAAも断酒会も変わらないんでしょう。
断酒会に出席するたびに、大学ノートを差し出され、住所と名前と電話番号を書くように求められました。AAのやり方に慣れた人間にとっては、戸惑うばかりでありましたが、断る度胸もありませんでした。それで何があったわけでもありませんが、翌年正月に知らない人から年賀状が届きました。いったい誰なのかしばらく思案したのですが、たぶん断酒会の会長だろうと結論しました。
自助グループには伝搬性が必要なんだと思います。断酒会にしてもAAにしても、同じような自助グループにしても、福音を広めようという動きがなければ、次第に縮小均衡の道をたどるようであります。その年賀状にそんなことを考えました。
断酒会とAAと似たようなのがふたつあるのが良くないと言われた時期もありました。
断酒会に誘われれば「私には断酒会は合わないのでAAに行きます」と断り、かといってAAに行くでもない人が出始めたのです。(AAのほうには、もう来ませんと断りに来る人は滅多にいないんですが)。AAが断酒会に出席しない言い訳に使われているってわけで、断酒会の人からも、病院の人からも「困ったもんだ」と言われたりしました。やがてそういう言い訳をする人は、元々どっちにも行きたくない、いやそもそも酒がやめたくないんだと理解が広まるにつれて、無用な軋轢も減っていきました。
新潟から長野に来て、また新潟に戻ったAAメンバーが、長野に残した荷物の整理に来ていると聞いて、挨拶もかねて峠の向こうのAAミーティングへ出席しました。
この3年間で、僕に何らかの霊的変化が起こりました。彼との出会いが重要な要素であったことは間違いありません。だから一言感謝と思ったのですが、別れ際に出た言葉は「機会があったら、また会いましょう」だけでした。
新潟市より向こうに行くことは滅多にありません。でも、必要があれば、また会わせてもらえるでしょう。それでいいのだと。
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