心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年02月09日(木) 原油高雑感

自動車の運転免許を取ったのは、結構遅くて30才になってからでした。
当時はまだ酒が止まっていなくて、酒臭い息で教習所に現れる僕に対して、教官は「お前みたいなヤツには(どうせ飲酒運転で事故を起こすだろうから)免許はやりたくないが、こちらも商売だから」とさんざん嫌味を言われたものですが、免許のおかげでミーティングに通うハードルが低くなって助かりました。
それまではガソリンの価格なんてものに興味すらありませんでした。

東京での暮らしは自動車とは関係ないものでしたし、住んでいたアパートはどこもストーブ禁止(電気ストーブは可のところもあった)でありました。今ではちょっと考えられないかも知れませんが、火事防止のためであります。なので灯油を買ったこともありませんでした。

当時レギュラーガソリンが1リットル120円台だったと記憶しています。そしてその後ガソリン価格は低下を続けます。高止まりを続けていた長野県内のガソリン価格も、異業種からの販売参入などがあって安いときには90円を割りました。おかげでスタンドがばたばたとつぶれました。競争が沈下した後は、再び全国でも最も高い水準で推移することになります。

日本の石油のほとんどは中東から輸入しているそうですが、そのドバイの原油価格は1980年代から1バレル(159リットル)=15ドル程度だったそうです。湾岸戦争の時に37ドルまで上がったのがトピックでしたが、その後は1990年代を通して10ドル台を保っています。

2000年にスバルから新車が発表されて、僕はその車を買うことにしました。家族は大反対だったものの、僕にはひとつの目算がありました(勝手な話だけど)。エコノミストによると、いままで採掘した原油の積算量と、今後採掘可能な原油の埋蔵量が等しくなったときに、原油価格が高騰し「石油ショックが起きている」というのです。つまり「残りあと半分」になったところで、産油国は「もう半分しか残っていない」と考えて原油価格のつり上げを行い、それが経済に大きな影響を与えてきたのだと。そしてその後に、新たな油田が発見されたり、採掘技術が上がったりして埋蔵量が再び増え、原油の価格がまた下がるのだそうです。
その例のひとつが1970年代の石油ショックでした。それ以前の例も挙げられていましたが、何せ生まれる前の事象ですから憶えられませんでした。

そしてエコノミストの論によると「2000年代(2010年まで)に再び、採掘量=埋蔵量となって、石油価格の高騰が起こるだろう」という予言でありました。僕はそれを信じて「大排気量の車(燃費悪し)に乗るのは、これが最後のチャンスかも知れない」と思ったのであります。その後は燃費の悪い車に乗るのは、きっとお金持ちだけになるのだろうと。

しかし21世紀になっても、原油の価格はあまり上がりませんでした。それでもドバイ原油は20ドル台まで上がりましたが、「まだまだ採掘技術が向上し、22世紀になっても石油燃料の時代は続くのではないか」という説まで飛び出すようになりました。

そうか、そうであるか。もっと人生の後になっても大排気量の車に乗るチャンスがあるのだったら、なにもこの苦しい台所事情の時に無理をすることはなかった。僕は内心落胆していたのであります。

しかし思わぬ伏兵が現れました。中国とインドであります。大人口を抱えるこのふたつの国が工業生産と車に石油を使うようになって、世界中の原油を買い集めるようになりました。供給が安定していても、需要が逼迫すれば値段が上がる道理です。Javaを使ったドバイ原油のチャート を見ると、最近は60ドル程度まで上昇しています。
論説によれば60ドルという事態は長続きしなくても、今後40ドル台で落ち着く可能性は十分にあるとか。

15ドルのものが45ドルになれば価格は3倍です。20世紀最後に100円前後だったガソリン価格は、130円台まで上昇しましたが、今後200円とかもっと上がる可能性もあるのかも知れません。

4年間で3万数千キロしか走らなかった車ですが、その後の9ヶ月の通勤で6万キロに達しました。オドメーターを見ながら、いずれこの車も買い換えねばならないということを考えるのであります。通勤をしながらプリウスに抜かれることも多くなりました。初代のプリウスは出力不足がいわれましたが、二代目はふつうの車並みの運動性能はあるようです。それを眺めながら「次はああいった車かな」と思いながら心は晴れないのであります。

自分の長期見通しが当たったのに不満を持つ理由はありません。もちろん車を買い換えるのはまだ年単位で先のことなので、先取りの心配をする必要はありません。車を買い換えるお金なんて無いから、また重いローンに呻吟しなければならないのでしょうが、どうもそれが理由でもないようです。別に大排気量の車に乗り続けることにこだわりを持ってはいないつもりでした。

そういえば昔読んだ『FBI心理捜査官』という本に、常習的犯罪者は高出力の車に乗ることを好むと書いてありました。力の誇示なのだそうです。心が晴れない理由はそういうことなのかもしれませんね。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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