ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年11月24日(木) 良いニュース?と悪いニュース ブログやウェブサイトを開設したというお知らせをいただきながら、なかなかじっくり見に行けていないひいらぎであります。
原因はなぜなのか考えてみますと、午後半日の出勤で一日分の仕事をしているからでありましょう。半日なら半日分の仕事だけしておけばいいのでしょうが、能力いっぱいまで自分を犠牲にしてしまうところが「欠点」なのでしょうね。うつというブレーキがかかるまえに、自分でスピードを制御しないといけないのかもしれませんが、人生全般にコントロール喪失であります。
「良いニュースと悪いニュースがある。どっちを先に聞きたい?」とやるのは、僕の悪い癖で、周囲に大変不評であります。良いニュースから先に話すと「それが良いニュースなら悪いニュースはいったいどれだけ悪い知らせを運んできたんだ!」と言われますし、悪いニュースから先に話すと「良いニュースと言うから期待したのに、ちっともよくない。そりゃ悪いニュースに比べれば良いニュースなんだろうけど」と言われるのが落ちです。
妻の退院が決まりました。来週の水曜か木曜に「一時退院」というかたちになり、退院後にトラブルがなければそのまま再入院はなしということになりそうです。とは言っても、妻のうつの状態に目立った改善はなく、退院が果たして良いニュースなのかは疑問であります。
ただ、まあ周囲の人間に疲労がたまってきているのは確かなので、それを考えれば良い知らせかもしれません。
毎年この時期になると、年賀欠礼のお葉書がやってきます。群馬県からやってきたそれは、50代半ばでの逝去を伝えてきました。しかし、名字と文中の名前をつなげてみても、心当たりのある名前になりません。宛名が僕の名前だけということは、妻の知り合いや妻方の親戚でもなさそうです。
PDAを検索してみて、その名前が群馬の中堅どころのAAメンバーの名前だとわかりました。ふだんはニックネームが通用している世界ですので、本名だとなかなか人の顔に思い当たらなかったりします。長野県にも縁の深かったメンバーです。
それにしても、酒をやめて第二の人生を始めて、そしてそれも50代半ばでついえてしまうとはさびしい限りです。そしてその死を知るのも半年後のはがき一枚というのも。
若い頃は年賀状なんて出さなかったし、欠礼のはがきも父や母が受け取るもので、自分がそういうものを毎年受け取る年齢になるなんてことは考えもしませんでした。しかしいつか自分も、あのときの父母の年齢に近づいてきているわけであります。
今年もインクジェット用の年賀状を100枚買いました。そのうちの半分以上はAAメンバー向けに発送されていくことになります。もう滅多に行き会うこともない、年賀状だけのつきあいの人も多いのですが、お互い飲まずに無事にやっているということをつたえるpingのようなものであります。
そういえば毎年やっている年賀三が日の特別ホームページですが、今年はまだ全然ネタを思いついても仕入れてもいません。どうなることやら。
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