心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年09月18日(日) ドア・クローザー

なんか、昨日の雑記に、別のブログ用のネタが混じってしまいましたが、そのままにしておきます。

3階から2階に引っ越して、3階のドアを開け閉めする回数が増えました。しかし、ドアの開閉装置(って言うのか?)がダメになっていて、ドアが毎回勢いよく閉まるおかげで「ドカーン」という音が近所中に響き渡ります。宵っ張りの朝寝坊の僕が、夜中に気を抜いてドアを閉めると、寝静まった町内に「ドカーン」という音がコダマしていくという次第です。

これではいけない、ということでホームセンターに買い物に行きました。でも、どこに置いてあるのかわかりません。しかたなく、店員さんに聞きました。
「ドアの上についているあれ、どこですか?」
相手も何のことかは理解したらしいです。
「引き戸じゃなくて、開き戸に付いている、あれですね」
先輩の店員に聞きに行ってました。
「ドアの上についているあれ、どこですか?」

製品名はドア・クローザーと言うらしいです。6,500円でした。
古いドア・クローザーの撤去に1時間以上かかりました。義父がDIYでつけたらしいのですが、ねじ山がバカになっていて外れなかったのです。
作業が終わると、すでに夕方でした。
今日は本棚の引っ越しを済ませる予定でしたが、明日に繰り越しです。

さて、先日ラジオで団塊世代が60才に到達するという話をしていました。その数1,200万人。これからその人たちが順次年金生活に入るわけであります。それを聞いていた時には、「ふーん、たくさんの人が年金生活になる前に、僕の障害年金の申請が通って欲しいなぁ」ぐらいのことしか考えていませんでした。

別の日にテレビを付けると、NEETの特集をしていました。仕事をしていなくて、学校にも、職業訓練の場にもいない15才〜35才の若者を指す言葉だそうです。その数80万人。
いままでNEETといっても、「働いたら負けだと思っている」というニート君のことぐらいしか関心がありませんでした。
NEETの生活を支えているのが、団塊世代の親たちであって、NEETの生活は親にパラサイトすることによって成り立っていることが多いのだそうです。その親たちが退職して年金生活に入れば、当然子供たちの生活まで面倒は見られない。あり得るパターンとして、世帯分離して親は年金生活、子供は生活保護というケースが大量発生することも考えられる・・・というのがニュースの内容でした。

「いままでなら優秀な工場労働者になれた層が、製造業の空洞化で行き場を失っている」と就職担当者が言えば、当事者たちは「道から外れた人間の、道への戻り方を教えてくれる場所がない」と訴えていました。

時代はフリーター問題なんかを超えて、ずっと先に行っていたのですね。
であるのに、「小さな政府」を訴える首相の党が圧勝したりしている不思議であります。
長野県人は理屈っぽいから、こういうことを語らせたら長いよ。

「一億総中流」で中間所得層が最大だった時代は終わりを告げるでしょう。日本も「普通の国」と同じように、豊かな層と、貧しい層に別れていくことになるでしょう。そして、僕はどうやらこのままでは貧しい層の方に入ることが確定しているようですが、まあそれは仕方がないとしましょう。

貧富の差が激しくなれば犯罪が増えるでしょう。今も実家のあたりでは、戸締まりしないで寝て、戸締まりしないで出かけています。それは田舎の濃密な人間関係の中で、見知らぬ顔が歩いていただけでもニュースになるようなローカリティと、どんなに貧しくても人のものを盗んで暮らすことを良しとしない古い道徳観念がまだ生き残っているからでしょう。

しかし次第にそうしたものも失われつつあります。アメリカの今回のハリケーンで被害が拡大したのは、被害地域が黒人の低所得者層が住んでいる地域だったせいで、救助活動が熱心に行われなかったからだという話がありました。それが事実かどうかともかく、当事者(黒人貧困層)は、もし被害地域が白人の富裕層の住む土地だったら、もっと迅速に救助活動が進んだはずだと考えているのは事実だそうです。

人々が、自分が豊かな日本の恩恵を受けられない層にいることを発見した頃には、政府の福祉策は縮小一方ということになるのかもしれません。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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