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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年08月16日(火) 焦り・狼狽・いてもたってもいられない 夏休み最後の日だというのに、起きたのは午後2時でありました。
「諏訪湖が見たい」という家族の要望に逆らえず、車上の人となりました。
いつもの通勤路と同じルートですが、帰省から戻る車で混雑していたので、途中のインターチェンジで降りてしまいました。
日本のなぎさ100選にも選ばれたという諏訪湖のなぎさで、石投げを楽しみました。長女は石投げは初めてのチャレンジでしたが「4回ジャンプしたよ」とはしゃいでいました。次女のはただ遠くへ投げるだけなので「じゃぼん」と大きな音が一回するだけです。
大人800円、子供400円という値段は高いような気がしましたが、乗ったことがなかったので、遊覧船に乗ることにしました。娘たちは船に乗るが初めてだったので、はしゃいでいました。僕が初めて船に乗ったのは、小学6年生の「東京見学」(修学旅行ではない)で東京湾の遊覧船に乗ったのが最初であろうと思われます。
片倉館 という戦前からある温泉の外湯に入って帰ってきました。
翌朝は10時に起きて、クリニックに行きました。戻ってきてみて郵便受けを見ると、社会保険事務所からの書留を預かっていると郵便局からのお知らせが置いてありました。「年金証書がくるにはまだ早いよな〜」と思いつつ、急いで郵便局に向かい、帰省からの戻りでやっぱり混み合っている高速道路をとばして会社にたどり着きました。
書留の封筒を開けてみると、そこには「書類の不備があるのでそろえて再提出するように」という内容の書類とともに、7月に提出した書類がまるまる戻されていました。社会保険事務所での受付が7月7日。社会保険業務センターへ書類が回ったのが7月11日。8月11日に社会保険事務所に差し戻され、盆明けすぐに僕のところへ送ってくれたらしいです。
提出した書類では、初診は東京の調布の精神科クリニックということで出してあります。しかし、そこに紹介されるまでに前の日に手首を切って自殺未遂をして救急病院で手当を受けたこと。その前の月に内科で胃を見てもらっていること。この両方の「受診状況等証明書」を追加して再提出しろということであります。またそのぶんの申立書も追加で書かないといけません。
会社の階段で病院に電話をかけてみました。調布の救急病院ではカルテ庫を調べてくれましたが、カルテは残っていないので証明書は書けないということでした。田舎の総合病院では、医事課のおねーさんが「カルテは5年で破棄しますから残っていません」と冷たく突き放されてしまいました。
母に電話して、当時の領収書でも残っていないか聞いてみましたが、「残ってるわけねーだろう」と一喝されてしまいました。
年金申請の書類にはいろいろと余計なことは書かない方がいいとは言われていました。そのぶんまで証明書が必要になるからです。しかし、初診証明の書類に「7月に内科受診」とか「左手横骨動脈切断」とか書いたのは僕ではなくて、調布のクリニックの医師です。それでも、そう書かれてしまっている以上、その内科やら救急病院が初診となるというのが社会保険庁の見解のようです。
そして、そうした書類を用意できなければきわめて不利になるだろうということも、ネット上で調べたあちこちに書かれていました。
(初診証明を書き直してもらえば良かったなぁ)とか後悔しても始まりません。どうして良いのかわからず動転していました。
最後に社会保険事務所に電話して相談してみました。そういう場合には「受診状況等証明書が添付できない理由書」を添付すればいいことや、そこにカルテが破棄されているという理由を書けばいいことを教えてくれました。
「しかし、証明書を提出できる場合に比べると、やっぱり不利になりますかねぇ」という僕の質問に対し、年金給付課の人は、「それは一緒に提出していただく申立書の内容と併せて判断しますから、そちらをしっかり書いてください」という返事をくれました。
内科の方は、酒の飲み過ぎで胃が悪くなり吐いていただけなので、これはなんとでも書きようがあるでしょう。ただ自殺未遂の方はうつ病と関係ないというわけにはいかないでしょう。ここで書類が不備なのでだめだと言われれば、これは手続き上の不備なので、抗弁のしようがありません。
このころになって、ようやく「やるだけのことはやって、あとは<おまかせ>だな」という感覚にたどり着くことができました。1時間ほど気の動転は続いてしまいました。お祈りの効果もなかったし、黙想する余裕もありませんでした。
なんとなく年金はもらえない確率が高く高くなっていくようでありますが、とりあえず書類をそろえて再提出まではするつもりです。
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