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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年08月24日(火) スピリチュアル・ペイン スピリチュアル・ペイン(あえて訳すなら実存の苦痛)を、例えばアルコール依存症にあてはめてみると、「なぜ自分はアルコール依存症にならなければならなかったのか」という疑問に対して、答えが得られないことであるかもしれません。
お酒を飲む人が全員依存症になるというなら、答えは明快です。でも、人口の半分が酒をたしなむのに、アル中になる人は人口の1%内外です。「なぜ自分が苦しまなければならないのか」「自分だけが」。
アルコール依存に限った話でもありません、「なぜ摂食障害を抱えるはめになったのか」「なぜ借金で苦しむまでギャンブルに熱中するのか」「なぜこの親の元に自分は生まれたのか」。それらに対して納得できる答えはないでしょう。科学的に何かの根拠を示されたって、苦痛はなくなりはしません。
スピリチュアル・ペインは別に依存症に限ったことではありません。「なぜ自分はがんで死ぬ運命にあるのか」「なぜ自分は親の介護をする羽目になったのか」「なぜ精神障害を負う羽目になったのか」などなど。
スピリチュアル・ペインを解消する力は、自分自身が持っているものです。子供ならともかく成人した後は、ケアは自己責任です。ところがその力は、自分自身ではなかなか取り出せないようです。そこで共感という道具が必要になるのでしょう。
「大変だったね」という言葉が、うわべだけのものでなく、心の奥から出てくるものであることを感じること。自分だけがこの苦しみに耐えているわけでないことを知ることは、苦痛を癒す効果があるのは間違いありません。
AAでは「仲間」という言葉を使って、依存症であることの苦痛をいちいち説明しなくても理解しあえる相手を示しています。
という文章を書いてみたのだけれど、なんとなくしっくりこなくて、お蔵入りしていました。まあ、日記の埋草ということで・・・。
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