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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年07月13日(火) 自分にとっての紙とペン 日本語ワードプロセッサーが初めて開発されたのが昭和50年だといいますから、(25を足して)1975年のことであります。もちろん売り物ではなかったそうです。
初めてパソコンを買ったのが1982年でした。プリンターも買いました。それだけで70万円以上しましたから、貧乏学生にとっても、その親にとっても大変な買い物でした。
友人がその上で動く簡単な日本語ワープロのソフトを組んだのが、僕と日本語ワープロの付き合いの始まりです。当時は、感じを一文字一文字入力していました。
3年後ぐらいに、かなを漢字に文節単位で変換できるようになったソフトが発売されて、多少実用になる時代がきました。大学のレポートをワープロで書いて出して、教授に呆れられたのを憶えています。「お前これ実験の時間よりワープロで仕上げる時間のほうが長かっただろう」と。
大学のサークルでは文字系の同人に入っていて、文章ばっかりの同人誌を出していたのですが、そこでの僕の役割は清書屋でした。人様に読んでもらえるような「そこそこきれいな字」が書けたというわけです(当時は)。
しかしワープロが進化し、私信もそれで書くようになっていくと、だんだん字は汚くなっていきました。ペンを持つだけの筋肉が衰え、それをコントロールする脳も衰えていったからでしょう。そして、そんなことは起こるまいと思っていたのですが、ワープロを使っていると漢字を書く能力が失われていきます。
今では僕は、ワープロやテキストエディタやスプレッドシートを使って、文字を書き、ものを考え、修正し、また考えています。同じことを紙とペンでもってやれと言われたら、それは洗濯機で洗濯をすることを覚えた人間に、洗濯板を渡して洗濯しろと言っているように感じるでしょう。漢字を思い出したり、人様が読めるような字を書くことに時間をかけるよりも、そのぶん「思うこと」に時間をかけたいのです。
だから、僕は相変わらず私信もワープロで書きます。ステップ4もスプレッドシートに向かって自分の内面を探ります。そのことを快く思わない人間もいるでしょうが、僕は気にしません。Live and let liveであります。僕にとってのペンと紙は、19インチCRTとキーボードであることに今後も変わりないでしょう。
「紙とペンを使って書く」とあるときに、僕は現実が許す限り自分にとっての紙とペン(つまりパソコンだ)を使わせてもらうことにしているのです。
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