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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年07月12日(月) Filling the Big Empty 妻がうつで起きられないので、朝7時から起きて子供の世話をするハメになりました。保育園にお昼寝用のふとんと子供を送り届けて会社へ。睡眠時間が短いのであたまがズキズキしました。
夕方、AAミーティングに行くか、そのまま仕事を続けるか、仕事を持ち帰って家でするかの3択を迫られました。もちろんミーティングに行き、家に帰って余裕があったら仕事をすることにしました。机の上には「自宅作業中」の札をぶら下げておきました。
僕の心には、大きな隙間が空いているのです。その空虚を、以前の僕はアルコールで満たそうとしていました。しかし決して満たされることはありませんでした。だから、僕の酒は止まりませんでした。
酒を止めてみても、隙間は大きく空いたまま残っていました。その空隙に、AAの仲間や仕事の仲間や家族が入り込んで、淋しさや孤独や恨みや妬みを吹き払ってくれました。でも、僕の心の空虚は大きくて、どうやっても満たされない空間が残ってしまうのでした。
僕は様々なもので隙間を埋めようとしてきました。例を挙げるなら昨日の競馬であります。けれどそれらでは決して永続的に満たされることはなかったのです。
残念ながらスポンサーは断られてしまいましたが、その人はミーティングの後に1時間以上も僕に話をしてくれました。自分よりソブラエティの長い仲間とグループを一緒にしたのはたった2ヶ月という一匹狼の自分には、ありがたい機会であります。
「ハイヤーパワーとの人格的なふれあいを求めたらどうだろう」
うーむ。痛いところを。今まで僕は「観念的なふれあい」しか求めてきませんでした。だから邪魔なときにはいつでもそれを脇にどけることができたのです。観念的な神の存在は、否定したければいつでも否定できます。
僕には人格を持った神様というのはまだ想像できません。けれど、仏様だったらどうでしょうか。人格を備えた大仏様のような存在と対話することを考えると、そんなに無理な話ではありません。
「私の存在を否定することはできないでしょう? 私と人格的なふれあいをしているのだから」
そうその人は言いました。だから、ハイヤーパワーとの人格的なふれあいをすれば、その存在を否定することもできなくなるだろうと。そして、神は僕の心の空隙を、永続的で無限の愛でもって満たしてくれるだろうと。
果たして僕は、人格的なふれあいを求めていけるのでありましょうか?
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