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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年06月19日(土) 土曜日 朝8時に起きて、下の娘の保育参観(肉体労働つき)へ。
作業は分解されて保管してあったプールの組み立て。この作業はどぶさらいなどと比べて花形の作業であります。上の子の3年間と下の子の2年間を通じて、初めてやらせてもらいました。
睡眠不足で肩がこり、軽く頭痛がしましたが、身体を動かしているとそれも解けてきました。身体を使うのが本職の人に比べれば、やはり僕の身体は貧弱です。まあ努力していないのだから仕方ないです。
朝起きたときの思考で、いつものお決まりのパターンは「今日は保育参観も面倒だし、AAに行くのも大変だよなー」というものでしたが、最近はガイダンスに従って、毎日に感謝し生きる決心をすることにしています。今日も飲まない一日が始まるのだと。
午前中で参観は終わったので、シャワーを浴びて、AAのオープンスピーカーズ・ミーティングへ。実はスピーカーを頼まれていたのですが、保育参観と重なっていたこと忘れていたので、あわててお断りする羽目になってしまいました。
着くと「間に合ったじゃないか」と言われましたが、そこは神の配慮によって替わりに選ばれたスピーカーにお任せしました。
はっきり言って僕はスピーカーが得意ではありません。頼まれれば断ることはしませんが、それでも回数が少ないのが客観的な評価というものだと思います。でもなぜか、「ビル・ゲイツの話をしていた人ですよね」と声をかけられたりするのが不思議であります。珍しいのかもしれません。
帰りは高速道路ではなく国道を走って帰りました。信号の少ない道を走っていると、いろいろなことを考えます。
昨夜の黙想は雑念でいっぱいでした。しかたないんで、教えてもらった祈りをすることにしました。僕が黙想をするのは深夜ですから、たいていの人は寝ているに違いありません。あの人も、この人も、気が会わないあの人も、そして特にこの人も、「ぐっすり眠れているといいな」と願い、「ぐっすり眠れていますように」と祈ります。スピリチュアルな生活は理論ではなく、実践だと言います。
昔、スポンサーに「あなたのことも毎日祈っていますよ」と言われたときに、なんだかひどく照れくさかったし、宗教臭くて嫌でした。「自分のためですよ。あなたにも分かるときが来ますよ」と言われました。プログラムは自発的なもので、押し付けられるものではないとつくづく思います。
帰宅して横になったら、いつの間にか寝てしまったようであります。脳が休みを要求しているのでしょう。
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