ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年06月07日(月) もし愛がなかったのなら あるAAメンバーと電話で話をする機会があり、自分の兄弟のアルコホーリクの話になりました。その人は、自分の兄のために今日は時間を使っていたのだそうです。
実を言うと、僕の実兄も「どうしてこの人がアル中という診断をもらって精神病院の内側に行かないのだろう?」と思うぐらい飲む人です。毎晩ビール大瓶2本と焼酎を飲んでいます。休みの日は朝から酒を飲み、酒臭い息でぶつぶつ言いながら農作業をしています。飲酒運転は毎度のことで、事故もしたし、喧嘩もしたし、入院もしました。
母は、僕での経験から、自分ではどうにもならないと諦めています。
「酔っ払っているアルコホーリクは、愛されない生きものだ」。まさにそんな感じです。
まだ苦しんでいるアルコホーリクが、たまたま身内だからといって、僕らに特別なことが出来るわけではありません。僕らは霊的な道具を手にしているだけですし、自らがまだ持っていないものを分かち与えることはできません。
しかし、親子兄弟の縁を切るのは難しいものです。(もしそれがなかったなら、今のAAメンバーのかなりの人が酒をやめる前に死んでいたにちがいありません)。
先週のミーティング後の片づけをしているときに、お湯のポットをひっくり返して、二人で火傷をしてしまいました。今夜のミーティングの後で、ポットをひっくり返した彼が、「お詫び」と言ってお金の入った封筒を僕に渡そうとしました。しかし、それは受け取れません。
彼がポットをひっくり返したのは悪意があったからではないし、僕がそれを反射的に手で受け止めたのは犠牲になろうと思ったわけでもありません。どちらに責任があるというものでもないし、あえて言えば五分五分です。
けれど、彼が封筒を差し出しているのは単なるポーズではなくて、気持ちからの問題でしょう。それは人間関係を大切にしたいというスピリチュアルなものでしょう。僕の拒む気持ちも、同じであります(たぶん)。受け取っても拒んでもしこりが残りそうな気がしたので、相談の結果、そのお金はグループの献金箱に入れることになりました。
お金は霊的(スピリチュアル)なものではありません。しかし、金銭とスピリチュアリティが交わる場所がこの世の中にはあります。それが献金箱の中だといいます。
適切な投薬と黙想、自分の感情を目をそむけずに見つめること。ともかく「うつ」状態からは抜け出しつつあるようです。
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