ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年06月04日(金) 佐世保の事件で考えたこと 佐世保の小学校6年生の殺人事件で、ネット掲示板の書き込み が契機になったと聞いて、恐れていたことが現実になったと思いました。
1985年に初めて「モデム」というものを買って電話線とパソコンにつなぎ、パソコン通信というものを始めました。モデムは十万円近くしたと記憶しています。パソコン通信というのは現在のインターネットと違って、それほど匿名性がなく、プロフィールを公開している人も多い上に、ネットニュース(掲示板)やメールの送り元がわからなくても、通信業者はその人の住所氏名は最低限把握しているものでした。
それでも、ニュース上で議論が始まると、それは熱く熱く盛り上がるのでありました。きっかけはたわいのないことで、お互いに揚げ足取りが始まり、重箱の隅をつつくような議論が延々と続きます。時には数十人が巻き込まれて、ニュースグループが乱暴な言葉で溢れ返ることもあります。
顔の見えないメディアなので、相手の表情を見て「言い過ぎ」「やりすぎ」の自分の行為に気付くことができません。相手が(自分も)どんなに傷ついていようが、そんなことはお構いなしで、ノーガードの打ち合いが続きます。
こうなると怒りの感情に支配されてしまい、何日も、時には何週間も、どうやって「勝利を得るか」に思考がとらわれてしまいます。会ったこともない相手に(いや会ったことがあったとしても)、深い憎しみと憎悪を燃やし続けます。
インターネット普及の時代になって、相手の身元を知るのがずいぶんと面倒になりました(難しくはなっていないけど手間がかかるようになりました)。匿名性が増したと言ってもいいかもしれません。それをいいことに、トラブルの種を作る人も増えてきました。
十数年をネット上で過ごして、無駄なエネルギーをたくさん使って、僕は多少なりともフレームをよけて歩くのがうまくなってきたと自覚していました。
けれども、携帯電話やPCのメールで相手を追い詰めて、互いに傷を作ることも珍しくありません。とくに相手をある程度知っている場合にそうです。その点ではまったく人間的成長というものがありません。
それでも、そのせいでより相手のことが理解できて、関係が深みを増すことだってあります。だから、相手を傷つけないように極端に臆病になったり神経質になることもないかなと思っています。ですが、それは僕が(一応は仮にも)大人であるから、背負っているものや体面もあるからであります。
まだまだ身体も心も成長期にある子供たちに、(一見匿名性があるように見える)インターネットという道具を使わせたら、いつかは憎悪が燃え上がって何かの事件がおきるに違いないと思っていたのです。これからも傷害事件ぐらいはいくつでも起きるのじゃないかと思っています。
ネットに規制はかけられませんから、子供にパソコンなどを買い与える時期は、親が責任もって悩まないといけないと思っています。
ネットに毒が巣食っているのではなく、ネットが抱えているのは人間の本性です。
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