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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年09月04日(木) シジフォス シジフォスの神話というのをご存知でしょうか?
ゼウスの怒りによって、シジフォスは岩を山の頂上へ押し上げる荷役を命じられます。しかし、シジフォスが岩を山頂に押し上げると、たちまちその岩はごろりんごろりんと、ふもとまで転がり落ちてしまうのです。しかたないシジフォスは、また最初から岩を押し上げて・・・。彼の苦役は永遠に終わりません。
朝10時に出社して、夜10時に退社して、忙しがっているうちに、日々がどんどん過ぎていってしまうのです。今忙しいのは、ちょっと前まで鬱だと言って休んだりしていたのが原因なのは確かなのですが、今年は全般的に忙しいのです。数年前なら定時出社・定時退社が続いたこともあったのにな〜、と思い出してしまうのです。
以前より忙しくなっているのは確かな事実です。リストラで人数が減っても仕事の総量は減らないので、ひとりひとりが忙しくなってしまうのがひとつ。もうひとつは、仕事の単価が下がってきた(デフレのせい?)ので、同じ収入を得るにはよりたくさんの労働が必要になるのです。そして、僕の仕事にはとりあえず時間が必要なので、仕事が忙しくなると、果てしなく他の時間を侵食していきます。
20年前と今とやっていることが、さして変わりがないという悲しい現実を前にして、この先もずっと同じようなことを続けていくのかなぁと思い悩んだりしてみます。誰だい? 21世紀になれば、コンピューターは自分でプログラムを作るようになって、人間のプログラマーは要らなくなるなんて言ったやつは。確かに、特定の業務用途では自動プログラムが行われているけれど、それは20年前でも同じことだったし・・。
果たして、老いて働けなくなるまでこれを続けるのでしょうか? だとすれば、これを行うために僕は生まれてきたのでしょうか? 答えは多分「イエス」なんでしょうね。自信を持って「イエス!」と言い切るまで回復はできていませんけどね。老いて働けなくなるまで続けられるのなら、それに増す幸せはないはずなのです。シジフォスを思い起こさせる繰り返しの中に、たぶん幸せが宿っているのでしょう。
後ろで妻が「毎日毎日洗濯物がちっとも減らない」と怒鳴っています。僕はそれには何も言わずに、ただ口の中でちいさく「シジフォス・シジフォス」と唱えるのでありました。
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