ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ|過去へ|未来へ
2003年08月06日(水) 伝統と真の伝統 最近になってよく言われるようになったことは、同じような12のステップを使っているからといって、AA・NA・OAなどなどの回復のプログラムが同質であるとは、誰にもいえないということです。確かに、それらの12のステップ・12の伝統は似通った言葉を使っているかもしれないけれど、それらのステップは個人に解釈の自由を与えている以上、これが正当というものはありません(一方で、12の伝統は議論による収束が必要なものですが)。
人の集まりですから、それぞれ「主流の考え方」というものが出来上がるでしょう。だからこそ、それぞれの12ステップグループの間には、プログラムの解釈の違いが生じて当たり前なのです。そして、それは「同じである必要はまるでない」ということです。
AA以外の12ステップグループが、AAの経験を踏まえていることは確かです。そして、それらの多くが(すくなくともアメリカにおいては)クロスアディクトを持ったAAメンバーによって始められたのも事実です。でも、AAが別のグループの回復のプログラムの品質を保証することはしないし、そんなことそもそもできっこないということです。
ただ、AAはAAプログラムの品質を維持する必要はあるのです。そのためには、個人の解釈の自由が制限されるのは当然だというのが、伝統一に沿った考え方です。自分の考えていることを述べ伝えるのに、「一人のAAメンバーとしての意見であって、AA全体を代表するものではない」ということは明らかにする必要があります。あくまで自分の意見を主張するよりも「多くのAAメンバーはこう考えている」ことを紹介するほうが役に立つし、謙虚であるということです。そこに(私は反対意見であるが)と付け加えるのは自由かもしれないけれどね。
じゃAAのプログラムとは何かというと、それは結局ビッグブックの中に書かれていることであります。ビルとボブと、当時の百人あまりのメンバーに起こった出来事を、広めていくということです。ビルたちは「議論の余地があることは承知している」と書いていますが、結局ビッグブックは変更されたことがありません。AAは最初の100人と同じ事を繰り返すのが「回復のプログラム」です。
日本のAAは中間施設と共に成長してきました。それが有効だったことはAAの成長が証明しています。しかし、10年余り前から「メンバーが増えない」ということが繰り返し言われてきています。そして、現在の日本AAが継承してきたものは、「最初の100人」とは違うものであろうという指摘がされています。
だから、日本語の伝統という言葉のイメージのもつ「日本のAAの伝統」ではなくて、グローバルなAAの中にあって「伝統一」を実践して、日本のAAのプログラムを原点に戻す必要があるのではないか、という意見です。
しかし、こうした考え方が、日本のAAの中では主流ではないことも、言い添えておく必要があります。
もくじ|過去へ|未来へ